『あんぱん』が創作だから描けた釜次の幸福な最期 “思い通りに生きる”を改めて考える

「面白がって生きえ」
NHK連続テレビ小説『あんぱん』第16週(演出:野口雄大)のサブタイトルは釜次(吉田鋼太郎)の遺言だった。そう、初回から出ていた朝田家の大黒柱・釜次が退場したのだ。いつしか肺の病を患って、羽多子(江口のりこ)が気付いたときには手遅れだったらしい。
負けず嫌いな釜次。相当やせ我慢してきたのだろう。人前で咳を止められなくなったときには相当進行していたようで、あれよあれよという間に寝込むようになってしまった。
釜次がいなくなったら朝田家はどうなるのか。朝田家は早くに父・結太郎(加瀬亮)を亡くしたものの、祖父・釜次がいたので確かな支えがあった。経済的にも精神的にも。不幸中の幸いで、戦時中は墓石の需要があって忙しかったようでもある。

釜次はいわゆる朝ドラの隠居した好々爺キャラではなく、ほぼお父さん的な役割を担っていたといえるだろう。吉田鋼太郎の演技も手伝ってお父さんのような現役感があった。とはいえお父さんではないので、どこか責任がなく、やたらと大きな声で怒ったり嘆いたり、とぼけたりふざけたり、自由気ままに振る舞っていた。石屋を営むのも面白いからやっていただけであり、自分の代で終わりにすると宣言し、残されたのぶ(今田美桜)たちにも「おまんらも面白がって生きえ」と言い残す。
ただ、釜次はずっとそう思ってきたわけではない。振り返れば、結太郎に後を継がせようとしていた節もあるし、豪(細田佳央太)と蘭子(河合優実)にも後を継がせようと思っていたはずだ。でも、結太郎は家業を継ぐ気がなく、豪は戦死してしまった。釜次の夢がかなわないなか、次第に気持ちに変化が起きていたのだろう。もはや家を守るという考え方をする時代ではないのだと悟ったに違いない。だったらかわいい孫たちに、家にこだわらず好きなことをやってほしい。それが最後の望みになったのだ。
すっかり弱った釜次の楽しみは嵩(北村匠海)の漫画となっていた。のぶが頼んで、釜次を主人公にした四コマ漫画を嵩は描く。それには朝田家全員が描かれていた。『アンパンマン』の作者・やなせたかしをモデルにして大胆に創作している『あんぱん』のなかで、これはすてきに幸福な創作部分になったといえるだろう。

釜次の葬式の日、ふらりと屋村(阿部サダヲ)が現れた。戦時中、軍の命令で乾パンを作ることを拒んで出ていって以来だ。たまたま帰ってきた日に葬式とは、釜次の魂が呼び寄せたに違いない。
屋村は釜次が残した釜と、ありあわせの材料で弔いのあんぱんを焼く。それは、のぶが東京に行く決意を祝福するようでもあった。
幼い頃、自由にのびのび育っていたのぶだったが、戦争によって、思いもよらず軍国主義に染められ、子どもたちに軍国教育をするようになった。戦後、たくさんの戦災孤児や浮浪児たちは間接的にのぶが生み出したのだと自覚し、子どもたちに罪滅ぼしをしたい、彼らのためにいい社会を作りたい。それがのぶの望みになった。
ちょうど、代議士・薪鉄子(戸田恵子)が東京で自分と一緒に働かないかと声をかけてくれた。のぶは薪と一緒に社会貢献したいと思いはじめた。だが朝田家のことや、困っているときに雇ってくれた高知新報のことが気になって、昔のようにあっけらかんと興味のあるところへ走っていけない。蘭子もメイコ(原菜乃華)も、釜次も東海林(津田健次郎)もそんなのぶを心配して、自由になるようにそれぞれ言葉をかける。

釜次の遺言の影響が大きく、そこにさらに東海林の言葉がダメ押しになる。記者が向いていないから、薪のところに行けとのぶを突き放しているかのように見えて、実は尊重している。のぶの記事の題材が子どものことばかりで偏っていて、客観性を重んじる記者には向いていないと指摘しながら、無理して自分の興味を捻じ曲げる必要もないと正論を語る。世の中、こういう人ばかりだといいのにと筆者は思う。
東海林のような他者を尊重する接し方は、令和のいま必要とされていることだ。釜次も、かつては、子どもたちに自分の考えを押し付けてきたが、死ぬ間際に、その考えを手放すことができた。このように、『あんぱん』の登場人物は皆、これから生きていく子どもたちのためのことを考えている。それは嵩のモデルであるやなせたかしが子どもに絶大な人気を誇るアンパンマンを作り上げることにつながっているのかなと想像する。
第16週ではメイコが青春時代が戦争中に当たって、防空壕ばかり作っていたと嘆き、戦争がなかったらどんな生活があったかと思いを馳せていた。戦死した千尋(中沢元紀)も「この戦争がなかったら」と繰り返した。
やなせたかしは『ぼくは戦争は大きらい』という本を出しているほどなので、このドラマはあくまでモデルの意思を尊重し、戦争がなく、人々が自分の思いどおりに生きていける世の中の希求を描いているのだろう。その思いを尊重したい。だが、思いが強いあまり、これまで書いてきた物語の一部をアレンジしているのがやっぱり少し気になる。




















