『魔物(마물)』女性たちはなぜDV男に沼るのか 一貫して描かれた愛の裏側にある“醜い感情”

韓国の制作スタジオ・SLLとテレビ朝日がタッグを組んだドラマ『魔物(마물)』(テレビ朝日系)が最終回を迎える。激しいラブシーンから暴力描写へ。思えば、物語序盤と終盤では大きく印象の変わる作品であった。一方で、一貫して描いているのは愛の裏側にある暗い感情であったように思う。
優秀な弁護士として競争社会に身を置く華陣あやめ(麻生久美子)が、ひょんなことをきっかけに源凍也(塩野瑛久)に出会ったことから全てが狂い始めてしまった。凍也は魅惑的な男性だ。こちらを覗き込むように話しかけたかと思えば、煙のように掴めないところもある。そして何より既婚者ということも作用していたのであろう。凍也に言い寄られることで、あやめは少なからず凍也の妻・夏音(北香那)に対して優越感を抱いていた。人肌という温もり、妻でなく自分を選んでくれたという女としての自信。凍也はあやめにとって、自己肯定感を支えてくれる存在でもあったのだ。その証拠に、あやめは路上でキスをしても、葬儀場のトイレで激しく求め合ったとしても、特に罪悪感を感じていなかったように見える。第3話までは凍也からのアプローチに抗うこともせず、凍也と禁断の愛で結ばれることが運命だったとすら思っていそうだ。

凍也の存在に救われていたあやめは、暴力を振るわれても彼からは離れられない。多くのDV加害者がそうであるように、暴力を振るう時以外は優しく穏やかで、特に凍也の場合は暴力の理由が嫉妬であることが多く、謝りながら甘い言葉を口にする。暴力は愛されている証だと錯覚してしまってもおかしくないのかもしれない。
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あやめより長く凍也からの暴力を受け止めてきた夏音も、暴力を愛の証だと思っていた節がある。高校時代に罪を共有したことがきっかけで結ばれるに至った凍也と夏音は、最初から歪な関係性だった。夏音は自分の盗みの衝動のせいで人を殺してしまったにもかかわらず、盗みを止めることができない。罪を重ねる自分を愛してくれるのは、凍也しかいない。だから暴力を受け止めるのも仕方がないことと思っているのだろう。自罰的な感情がうかがえる。