『岸辺露伴は動かない 懺悔室』“動く”ことが実写化の成功に 制作陣が打ち勝った“呪い”

ドラマ版『岸辺露伴』は、荒木飛呂彦の超絶作画のビジュアルを渡辺一貴が実写ならではの映像として再解釈し、脚本の小林靖子が原作漫画を踏まえた上でドラマならではの物語に落とし込むという絶妙なバランス感覚が支持されている。
今回の『懺悔室』も、完結している短編に続きを加えるという危ない橋を渡っているのだが、サスペンスとして面白いだけでなく『岸辺露伴』の哲学に照らし合わせても、納得できる内容となっていた。

映画冒頭、ヴェネチアに到着した露伴は仮面専門店を訪れ、マリア(玉城ティナ)という仮面職人と出会うのだが、話が進むにつれ、彼女が懺悔室で出会った水尾の娘だと判明する。水尾は身代わりにされた田宮から、娘のマリアが幸せの絶頂の時に絶望が訪れるという呪いをかけられていた。そのため水尾はマリアの幸せが大きくならないように注意しながら暮らしてきたのだが、マリアは婚約者との結婚を目前に控えていた。
一方、水尾の懺悔を聞いた露伴の指先には、血のような赤黒い汚れがこびりつき、その後、次々と幸福が舞い込んでくるようになる。
本作の呪いは「幸福」そのもので、幸福の絶頂で絶望が訪れるため、適度に不幸を自ら選び取ることによって、幸福を間引きしないといけない。つまり幸福こそが最大の敵(呪い)で、幸福と戦うために割れた鏡や黒猫といった不幸の象徴を周囲にちりばめて身を守るという逆転現象が起きているのが実に滑稽なのだが、同時にどこか哲学的で、自分の力で制御できない運命は、幸福であれ不幸であれ、理不尽で暴力的な現象だと言える。そんな「幸福という名の呪い」に対し、露伴は冷静に対応していたのだが、各国で刷られる自分の漫画の売上が激増するという「幸福」が訪れた瞬間、怒りを露わにし「幸福という名の呪い」に立ち向かおうと動き出す。

露伴の怒りは、自分が売上の増加に喜ぶ漫画家だと「呪い」に思われたからだが、序盤で遭遇したスリに自身の漫画『ピンクダークの少年』が、漫画なんかじゃなくて芸術だと言われた時も漫画家という職業に対する侮辱だと怒りを露わにしている。一方、マリアは仮面職人になった理由について「自分が納得する〈最高の一番〉だけは自分にしか作れないから」だと語り、同じ職人として露伴は感銘を受ける。
露伴は悪人ではないが正義の味方でもない。だが漫画家としての誇りは高く、漫画を侮辱する存在は誰であっても容赦はしない。
原作では動かなかった露伴を動かしたのは、漫画という聖域を踏みにじられた怒りからだが、創作に対する強い意思こそが理不尽な呪いに打ち勝つ力となるのだと、映画を観て強く感じた。
■公開情報
『岸辺露伴は動かない 懺悔室』
全国公開中
出演:高橋一生、飯豊まりえ、玉城ティナ、戸次重幸、大東駿介、井浦新
原作:荒木飛呂彦『岸辺露伴は動かない 懺悔室』(集英社ジャンプ コミックス刊)
監督:渡辺一貴
脚本:小林靖子
音楽:菊地成孔/新音楽制作工房
人物デザイン監修・衣裳デザイン:柘植伊佐夫
製作:『岸辺露伴は動かない 懺悔室』 製作委員会
制作プロダクション: NHKエンタープライズ、P.I.C.S.
配給:アスミック・エース
©2025「岸辺露伴は動かない 懺悔室」製作委員会 © LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社
公式サイト:kishiberohan-movie.asmik-ace.co.jp





















