高橋一生の露伴になぜ魅了され続けるのか 『岸辺露伴は動かない 懺悔室』が問う絶望と幸せ

『懺悔室』が問う絶望と幸せ

 まずは、「絶望」についてである。前述したように、呪いという「絶望」を抱えて生きなければならない男・田宮が該当する。一方で、彼によって死に至った浮浪者ソトバ(戸次重幸)もまた、大東駿介演じる水尾(若き日の田宮)との賭けを通して、死の直前に彼によって味わわされた絶望を自分の「運命」として受け入れるか否かを問うのである。つまり水尾/田宮を呪うソトバもまた田宮と同様に、己に理不尽に降りかかった「絶望」と向き合い続ける人物であるということがわかる。

 次に「幸せ」である。なぜなら、本作の「絶望」には副産物があって、「“幸せの絶頂”の時に絶望を味わ」わせたいという“呪い”の意志のために、田宮と娘・マリアは、必要以上の「幸せ」に襲われる日々を送っているからだ。そして「幸せ」とどう向き合うかを通して三者三様の強さが浮き彫りになるのも興味深い。田宮の娘であり、仮面職人のマリアは、いかなる呪われた運命を以てしても、「自分が納得する一番」を自分自身で作り出そうとする強さを持っていたから、本当の幸せを手に入れることができた。

 さらに本作は、主人公である露伴と、彼の旅に同行する担当編集・泉にも、同様の問いを投げかける。「理不尽に襲いかかってくる幸せとどう向き合うのか」と。足元に宝くじという「幸せ」が落ちていたとしても、自分の意志とは異なる運命に従うことを快く思わず、敢えて踏みつける露伴の強さは、「自分の矜持を貫いている人」岸辺露伴ならではだ。それと同時に、度重なる偶然に思わず警戒する露伴の前に、まるでその呪いによってもたらされた「幸せ」に喜んで乗るかのように、ボートに乗って滑るように登場する泉の無邪気な強さも一際異彩を放っている。

 本作終盤の露伴の台詞は、原作の露伴の最後の台詞に繋がる。そしてそこに、新たな意味合いが加わって、映画の露伴は、映画館を出て日常へと戻る観客の背中をも押してくれる。泉の「今日が最高の日なんて決められないです。だって明日、もっと大きな“幸せ”が来るかもしれませんもん」という言葉が好きだ。その時が“幸せの絶頂”かなんて分からない。降って湧いた幸運の理由も、何が絶望で、何が幸せかを決めるのも、自分次第。本当の幸福の形は、きっと、自分にしか分からないのだから。それをしっかりと握りしめて、明日を生きていけばいいのだ。

■公開情報
『岸辺露伴は動かない 懺悔室』
全国公開中
出演:高橋一生、飯豊まりえ、玉城ティナ、戸次重幸、大東駿介、井浦新
原作:荒木飛呂彦『岸辺露伴は動かない 懺悔室』(集英社ジャンプ コミックス刊)
監督:渡辺一貴
脚本:小林靖子
音楽:菊地成孔/新音楽制作工房
人物デザイン監修・衣裳デザイン:柘植伊佐夫
製作:『岸辺露伴は動かない 懺悔室』 製作委員会
制作プロダクション: NHKエンタープライズ、P.I.C.S.
配給:アスミック・エース
©2025「岸辺露伴は動かない 懺悔室」製作委員会 © LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社
公式サイト:kishiberohan-movie.asmik-ace.co.jp

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