『ロボット・ドリームズ』はなぜ日本の観客に受け入れられたのか “熱量”の正体を分析

 第96回アカデミー賞で長編アニメーション映画賞にノミネートされたほか、ゴヤ賞を含むさまざまな賞を獲得した、スペインの映画作品『ロボット・ドリームズ』。『ブランカニエベス』(2012年)により、すでに名声を得ているパブロ・ベルヘル監督が、サラ・バロンのグラフィックノベルを基にして完成させたアニメーション作品である。そんな『ロボット・ドリームズ』が日本で公開されるや、感動的な内容が口コミで拡散され、話題となっている。

 そのなかでも目立っている感想が、「ラスト数分で号泣……!」といったもの。全体に切なく寂しい雰囲気が流れる本作『ロボット・ドリームズ』は、終盤で“熱量”が急激に増加し、その勢いが観客の感情を大きく揺り動かしたのである。

 しかし本作はなぜ、日本の観客に受け入れられ、ここまで感動の渦を巻き起こすことに成功したのか。ここでは、本作の内容と日本の文化との共通点について考えながら、その“熱量”の正体が何なのかを、明らかにしていきたい。

※本記事では、『ロボット・ドリームズ』の結末についての言及があります。

 本作の舞台は、1980年代のニューヨークをモデルとした大都市。原作者のサラ・バロンとパブロ・ベルヘル監督、そして本作のミュージックエディターを務めた、監督のパートナーである原見夕子は、実際にニューヨークに暮らしていた経験があり、そのときの体験や実感が本作に強く投影されているのだという。さらに本作では、そこにいたはずの人間たちが、擬人化されたさまざまな動物として表現されている。そして、都会に生きる寂しい主人公・ドッグと、彼が注文した「友達ロボット」との物語が描かれていくのである。

 ドッグとロボットはパートナーとして、ニューヨークの名所をめぐるレジャーや、レンタルビデオ鑑賞、ビデオゲーム対戦、ダンスなどをともに経験し、絆を作り始める。だが、そんな幸せな期間は、ほんの束の間だった。夏の終わり、「コニーアイランド・ビーチ」をモデルにしただろう海水浴場で、おそらくは海中に入った際の塩水の影響によってロボットが動かなくなり、ドッグはロボットを浜辺に置いていかざるを得なくなってしまったのである。タイミングの悪いことに、翌日からビーチはシーズンを終え、立ち入り禁止に。来年の6月まで閉鎖されるのだという。修理道具を持って救けだそうとしていたドッグは、ロボットを放置したまま、海開きの日まで待つことを余儀なくされるのだった。

 ロボットは長い間浜辺に横たわり、二人の思い出の曲、アース・ウィンド・アンド・ファイアーの「セプテンバー」を口ずさみながら、ドッグの部屋へと帰還するといった内容の、切ない夢を見る。まさに、SF作家フィリップ・K・ディックの小説のタイトルにあるように、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」といった状況だ。つまり、世界を認識し個人的な願望を持つという点において、ロボットと人間(この場合は動物たち)の間には、もはや明確な違いはないのだ。

 とはいえ、本作は存在論、認識論などの哲学的な領域を、それ以上深掘りするわけではない。ロボットが内面において動物たちと何の違いもないことを提示した上で、パートナーに対する心理や気遣いの方が問題となっていくのである。

 クライマックスでロボットはついに、かつてパートナーだったドッグを目にすることとなる。しかしすでにロボットには新たなパートナーが存在し、ドッグもまた同様の境遇にある。さらには、ロボットは姿かたちが変化し、“かつての自分”ではないのだ。ここでロボットは、ある行動をとることにする。それは、ドッグに対しても、いまのパートナーに対しても、相手を尊重し、幸せを願おうとする、バランスをとった健気な選択であった。

 この、自ら“身を引く”という展開で観客を感動させようとする仕組みは、物語の形態としては古い前例が多く見られる。とくに、それをクライマックスに持ってくるところは、アメリカ映画においては、例えば『カサブランカ』(1942年)だったり、1990年代という発表年代においては「アナクロニズム」だと揶揄する声も当時あった『マディソン郡の橋』(1995年)が該当する。

 もちろん日本においても、このようなクライマックスでの趣向は長く愛されてきた。成瀬巳喜男監督によって映画化された『鶴八鶴次郎』(1938年)、小津安二郎監督の『晩春』(1949年)では、愛する女性や娘の将来のために一芝居打って欺くことで、あえて孤独な道を選び、慰めの酒を飲む姿が描かれた。

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