『マウンテンドクター』が極限状況で示した帰るべき場所 岡崎紗絵が見出した医師のあり方

 『マウンテンドクター』(カンテレ・フジテレビ系)第7話は、極限状況での判断を通じて、帰るべき場所を指し示した。

 信濃総合病院に現れた典子(岡崎紗絵)の母・聖子(池津祥子)の目的は、娘を連れ戻すことだった。優秀な内科医である聖子は、将来、自分のクリニックを継いでほしいと考えていた。ところが、内科医であるはずの典子は実は麻酔科の医師であり、そのことを自分たちに黙ったままMMTの一員として山で診療を続けていた始末。典子は育ての親である聖子たちをだまし、裏切っていたことになる。

 医師としての使命は医療ドラマの王道テーマだが、典子の場合はもっと個人的なきっかけから発していた。内科医師を目指していた典子は、研修医時代に出会った麻酔科医師の手際のよい処置と患者の不安を取り除く声かけに感銘を受け、のちに麻酔科の扉をノックする。

 MMTの発足当初あれほど山での診療を嫌がっていた典子が、今は自分からローテーション勤務を希望するようになった。ただしそれは必ずしも積極的な動機からではない。家で聖子たちと顔を合わせるのが気まずくて、面倒ごとを避ける意味合いも多分にあった。

 山に行けば現実の煩わしさから解放される、というのは半分は正解である。登山は私たちが生きる日常と別の世界線にあって、山々と自然が見せる表情は矛盾に満ちた現実を忘れさせる要素がある。ちょうど第7話でカメラマンの長田(谷恭輔)が山の素晴らしさを強調したように抗いがたい魅力がある。

 他方で、ひとたび下山すれば変わらない現実が待ち受けている。雄大な自然や美しい景色は心を満たしても、それ自体として即物的な価値を持たない。山に登っている間、無事を願ってくれる家族には、自分がいないことで負担をかけている。仕事や家庭内の役割を放棄して山に行けば、現実逃避と言われても否定できない。

 こうした登山にともなう“現実”が顕在化するのが遭難や事故の場面だ。特に人命にかかわる事態では、助ける側もギリギリの選択を迫られる。『マウンテンドクター』を観て気づいたことがある。現場の医師や救助隊員は、全員が目の前の遭難者、要救助者を助けたいと思っている。それでも助けたいと思っても助けられるとは限らない。第6話の小宮山(八嶋智人)のように山の診療所で手術器具や医療用品がそろっていなかったり、処置可能な時間的余裕がないことが往々にしてあるようだ。

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