Huluでのドラマ化も大反響! 綾辻行人『十角館の殺人』がミステリ作品に与えた影響とは

 『十角館の殺人』が残した影響を見てみよう。まず、綾辻本人についてだが、当初、同作は単発の物語として書かれたが、作家デビューに伴いシリーズ化される。ミステリのシリーズの場合、同じ名探偵が繰り返し活躍することが多いのに対し、綾辻は謎の建築家・中村青司が設計した建物で毎回事件が起きるという形でシリーズ化した。『十角館の殺人』の島田潔のように探偵役が登場するにしても、それ以上に建物が主役なのだ。ゆえに「館」シリーズと称される。十角館以降は、水車館、迷路館、人形館、時計館、黒猫館、暗黒館、びっくり館、奇面館での事件が描かれ、現在は10作目『双子館の殺人』がメフィストリーダーズクラブで連載中だ。

 このなかで第5作『時計館の殺人』(1991年)は、大学の超常現象研究会のメンバーや江南孝明が登場するほか、館の内と外を並行して描くなど、『十角館の殺人』に近い要素を意識的にとり入れている。また、『十角館の殺人』は島の内でも外でもミステリマニア同士が議論を展開し、それが1行の衝撃につながる役割を果たした。一方、『時計館の殺人』は、多数の時計があり、少女の亡霊が棲むといわれる館で殺人事件が起きる。どの館も特定の雰囲気に支配されており、登場人物も読者もその雰囲気に思考を左右されてしまうのが、このミステリ・シリーズの特徴だ。なかでも、時計というテーマに覆われた『時計館の殺人』はシリーズ屈指の傑作であり、第45回日本推理作家協会賞長編部門を受賞している(第8作『びっくり館の殺人』までの「館」シリーズ作品については『「謎」の解像度(レゾリューション) ウェブ時代の本格ミステリ』で詳しく論じたので、興味のある方はご一読いただきたい)。

 特定の雰囲気やテーマに支配された場所を舞台とし、そのことが伏線となり驚きにつながる作品は、新本格以降しばしば書かれてきた。医師の夫が密室から失踪する一方、妻が20カ月も身ごもったままの産院で異様な物語が展開される京極夏彦『姑獲鳥の夏』(1994年)。優秀な研究者が集まる島の研究所で不可思議な死体が出現する森博嗣『すべてがFになる』(1996年)。人気作家2人のデビュー作は、どちらも場所が大きな意味を持っていた。

 近年の成果としては、白井智之『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』(2022年)が挙げられる。病気も怪我も存在しない楽園とされるカルト教団で、奇怪な事件が発生する内容だ。現場の集団内でしか通じない理屈が人々を縛っているが、合理的なロジックによって読者の前に真相が明かされる。そうしたミステリの醍醐味を味わえる作品だ。

 「館」シリーズの館+クローズド・サークルの設定を受け継いだ進行形のシリーズとしては、阿津川辰海の「館四重奏シリーズ」が注目される。山火事が迫る『紅蓮館の殺人』(2019年)、濁流が押し寄せる『蒼海館の殺人』(2021年)、土砂崩れで孤立した『黄土館の殺人』(2024年)。殺人事件が起きた現場をさらに別の危機がとり巻く状況は、有栖川の「江神二郎シリーズ」を受け継いでもいる。

 一方、綾辻の館が有していた特定の雰囲気を特殊設定に置き換えたのが、今村昌弘の「剣崎比留子シリーズ」といえるだろうか。SF的設定や超能力といった非日常的要素を盛りこんだ特殊設定ミステリが近年増加したが、その一因が今村のデビュー作であり、名探偵の比留子が初登場した『屍人荘の殺人』(2017年)の大ヒットだった。同作は、クローズド・サークル成立の理由としてホラー要素を用いており、『魔眼の匣の殺人』(2019年)では予言、『兇人邸の殺人』(2021年)では異形の存在が、その場にいる人々の行動を制約する。

 『十角館の殺人』は、登場人物のほとんどが大学生であり、恋愛感情、背伸び、気おくれ、羨望、妬みといった若者らしい感情が描かれる青春ミステリだった。それに対し、「館四重奏シリーズ」、「剣崎比留子シリーズ」は、探偵役と相棒のコンビが前者は高校生から大学生にかけて、後者は大学生の設定であり、捜査にあたる苦悩が、承認欲求やアイデンティティといった若年期の問題とからめて語られ、ミステリの面白さとともに青春小説の色あいを持つ。

 青春ミステリとしては、『体育館の殺人』(2012年)、『水族館の殺人』(2013年)、『図書館の殺人』(2016年)と発表されてきた青崎有吾の「裏染天馬シリーズ」にも触れておきたい。タイトルからして「館」シリーズを連想させるが、中村青司が設計した館がどれも一風変わった建物だったのに対し、アニメオタクの名探偵・裏染天馬をはじめ、高校生が主要人物となる同シリーズは、書名通り「館」とついても彼らが普通に行ける場所を舞台にしており、怪しげな洋館を舞台にした館ものとは異なる。「館四十奏シリーズ」や「剣崎比留子シリーズ」の非日常性とは違い、現実的なシチュエーションが選ばれている。それでいて、不可解な事件を推理するロジックの緻密さは普通ではない。『十角館の殺人』が示した本格ミステリへの愛が、同シリーズにもあふれている。

 最後に乾くるみ『イニシエーション・ラブ』(2004年)を紹介しておこう。『十角館の殺人』は、意外性を演出するミステリとしての仕掛けに関し、館、クローズド・サークルという物理的条件とともに、構成や描写など小説としての表現に重きを置いた作品だった。「館」シリーズは、両者の結合を特徴としており、『十角館の殺人』が映像化不可能といわれてきたのもそのためである。綾辻デビューの翌年の1988年にデビューした折原一が叙述トリックの名手として知られるようになるなど、新本格以降はそうした手法を用いる作品が増えた。『イニシエーション・ラブ』は、読み進んでも殺人事件など起こらず、普通の恋愛小説のように思えるが、考えられた構成と緻密に工夫した描写によって、読者は最後に見誤っていた実相をつきつけられる。館ものでもクローズド・サークルでもないが、意外性を与えることへのこだわりを『十角館の殺人』から受け継いだ作品なのだ。

 こうして振り返ると、先行作品から後続作品へと本格ミステリのスピリットを受け渡した『十角館の殺人』のリレー走者としての役割は、実に大きかった。

■配信情報
Huluオリジナル『十角館の殺人』
Huluにて独占配信中
出演:奥智哉、青木崇高、望月歩、長濱ねる、今井悠貴、鈴木康介、小林大斗、米倉れいあ、瑠己也、菊池和澄、濱田マリ、池田鉄洋、前川泰之、河井青葉、草刈民代、角田晃広、仲村トオル
原作:綾辻行人『十角館の殺人』(講談社文庫)
監督:内片輝
脚本:八津弘幸、早野円、藤井香織
音楽:富貴晴美
テーマ曲:「低血ボルト」ずっと真夜中でいいのに。(EMI Records / UNIVERSAL MUSIC)
プロデューサー:内片輝、内丸摂子、木下俊、中村圭吾、渋谷昌彦
チーフプロデューサー:石尾純、勝江正隆
エグゼクティブプロデューサー:川邊昭宏、長澤一史
制作:下村忠文
制作協力:内片輝事務所、東阪企画、いまじん
製作著作:日本テレビ
©綾辻行人/講談社 ©NTV
公式サイト:https://www.ntv.co.jp/jukkakukannosatsujin/
公式X(旧Twitter):@jukkakukan

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