『お別れホスピタル』が誠実に向き合った生と死 豊かな“風”は実写化だからこその表現に

『お別れホスピタル』誠実に向き合った生と死

 非常に重いテーマを描くドラマだけれど、全4話通じて停滞を感じないのは、いつも「風」が吹いているからではないか。風は時に厳しく、時に恵みを運んでくれる。理不尽も喜びも、業も愛も、時間も、全て抱き込んで風が流していく。神なのか、運命なのか、わからないけれど、そういう「摂理」のようなものに動かされて、私たち人間は生かされ、そして死んでいくのではないだろうか。

 風に流されて余計なものを取っ払い、丸裸になった人間は、最後に何を思うのか。何を望むのか。死ぬってどういうことなのか。辺見と、そしてドラマを観ている私たちは考え続ける。人はいつか必ず死ぬ。そして死について考えることで、あらためて人は生きていることを実感する。

 カウンセラー医師(占部房子)の言葉や、辺見と他者の語らいを通じて、このドラマは繰り返し「誰かと話すことの大切さ」を説いている。誰かと、死について、生について語らう。ドラマの中では辺見が、広野や赤根、自殺願望がある妹の佐都子(小野花梨)、患者やその家族と対話しながら答えを探していくのだが、それを観ている視聴者も知らず知らずのうちに、その「対話」に交わっているような気持ちにさせてくれる。

 「『終末患者』と十把一絡げで“記号”にするな」「『医療従事者』と一括りにしてくれるな」という叫びが、このドラマには込められていた。事情も思いも、それぞれに違う。その「ひとりひとりの生き様」「それぞれの選択」を否定してはならない。

 死ぬ間際になったらみんなもっと正直に、ありのままに、自由になってもいいんじゃないか。最後まで自らが建てた「シャンタルビル」を誰にも渡さないと、権利書を食べて逝った池尻さん。「これが私だ! これが私の意地だ! ざまあみやがれ!」と叫ぶ姿が人間臭くて、とてもカッコよく見えた。

 自死を選ばない限り、どんな人も「死ぬ時期」を自分で決められない。でも、「死に方」は自分で決めていいのではないか。このドラマで描かれたように、日本の医療が患者ひとりひとりの尊厳を守り、「最後の時間を生きるお手伝い」をしてくれる場であってほしいと心から祈る。そして、そこで働く医療従事者への感謝と敬意の念は尽きない。当たり前ながら、彼ら医療従事者の尊厳も遵守される社会であることを切に願う。

 ラストシーンで辺見は、第1話と同じ防波堤に立って朝陽を見つめながら「きれいだね」と言った。生きて、悩んで、もがいて、這いつくばって、死んで。カッコ悪くて、寂しくて、最後までジタバタして。しかしいつでも、どの姿であっても、美しい「希望」を持っていいのだ。こんなに厳しい現実を克明に描いたドラマなのに、いや、厳しく描いたからこそ、そこに吹いていた風に心を洗われ、導かれて、観ている私は少しだけ、死ぬのが怖くなくなった。

■配信情報
土曜ドラマ『お別れホスピタル』
NHK+、NHKオンデマンドで配信中
出演:岸井ゆきの、松山ケンイチほか
原作:沖田×華
脚本:安達奈緒子
音楽:清水靖晃
制作統括:松川博敬、小松昌代
演出:柴田岳志、笠浦友愛
写真提供=NHK

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