綿矢りさが語る『落下の解剖学』の絶妙なさじ加減の演出 作家として見逃せないポイント

 2月23日より公開となった映画『落下の解剖学』。本作は、第76回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、第96回アカデミー賞でも5部門にノミネートされているミステリーヒューマンドラマ。人里離れた雪山の山荘で、男が転落死した。現場検証により事故と思われたが、次第に作家である妻サンドラ(ザンドラ・ヒュラー)に殺人容疑が向けられていく。

 リアルサウンド映画部では、本作の主人公と同じく作家として数々の作品を発表してきた小説家・綿矢りさにインタビュー。作品の印象から、ヒューマンドラマ、法廷劇としての注目ポイント、作家として見逃せない点などについて語ってもらった。

「このような切り口は、これまであまり考えたことがなかった」

――綿矢さんは本作『落下の解剖学』を、どのようにご覧になりましたか?

綿矢りさ(以下、綿矢):まず、この映画のポスターは、どこかで見たことがあるなと思っていました。話の内容とかはわからないけど、雪の中に男の人が倒れていて、『落下の解剖学』というタイトルだから、落下した人を解剖して、死因を探っていくような……そういうドラマや映画って、多いじゃないですか。この映画も、そういう感じなのかなって思いながら観ていたんですけど、死因ではなく、法廷に立たされた人間の「危うさ」を描いていて。そこがまず意外でした。

――そうですよね。

綿矢:主人公の女性サンドラの夫サミュエル(サミュエル・タイス)が雪の中に倒れているシーンはすごいショッキングでしたが、基本的には人と人が話すシーンが多いのは意外でした。殺人シーンはないものの、すごく緊迫感があって、観ているあいだずっと、胃がキリキリするような映画だと思いました。

――決定的なシーンは、ほとんどないんですよね。具体的に何かを説明するようなシーンもなくて。基本的には会話によって、この夫婦に関する情報が、徐々に明らかになっていくという。

綿矢:そう。だんだんと、主人公夫婦のそれぞれの事情が明らかになっていく。主人公の女性が小説家で、夫も小説を書こうとしていたとか、息子のダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)が視力を失ってしまった理由など……。初めはわからなかったことが、観ているうちにどんどんわかってきて。ただ、映像がものすごく綺麗で、いい雰囲気の山荘に住んでいて、雪山の景色とかもすごい綺麗やし、飼っている犬もすごくかわいくて。

――そうですね。

綿矢:あと、気になったのは、私は実際の裁判というものを見たことがないんですけど、『名探偵コナン』とかやったら「真実はいつもひとつ!」だし、そういう感じの切り口のものをこれまでたくさん観てきていて。この映画も「そういう感じなのかな?」と思って観ていたようなところがあったんです。映画の最後のほうで、なんとなく決定的証拠みたいなものが出てきて、真犯人が泣きながら自白し始めるみたいな(笑)。

綿矢りさ

――(笑)。

綿矢:でも、この映画は、そういう感じでは全くなかった。ただ、裁判の証人となった息子が大人から、「自分の立場を、はっきり決めなアカン」みたいなことを言われるじゃないですか。主人公の女性も、裁判で証言する前に、弁護士の人に「夫とは、昔はすごく気が合っていたはずなんだけど、だんだん合わなくなってきて……」みたいな、少しでもマイナスなことを言おうとしたら、「あ、それは言わんでいい」みたいなことを言われていて。

――そもそも彼女は、友人である弁護士に「私は殺ってないわ!」と言って、「そこは問題じゃない」って即座に却下されていましたよね。

綿矢:そうそう(笑)。だから、「真実はいつもひとつ!」的な感じではなくて、真実がどうであるかの前に、自分はどういう立場なのか、まずは先に決めろと言われたように感じました。このような切り口は、これまであまり考えたことがなかったので、すごく驚きました。

――事件の真実を解明する裁判のようでいて、それがいつの間にか、だんだん離婚調停の裁判のような流れになっていきました。

綿矢:そうですよね。主人公の女性が、何を考えているのかわからない表情をずっとしているんですよね。だから、私も彼女と同じ小説家で、彼女にすごく感情移入しながら観られるのかなって思っていたら、あんまりそうでもなかったような気がして(笑)。同じ職業だし、結婚して子どもがいるところも同じだから、途中まではすごく感情移入して、「彼女の嫌疑が晴れたらいいなあ」と思って観ていたようなところもあったけど、映画を観終わっても、まだちょっと真犯人を疑ってしまうような余韻も残っていて。それは、この映画を作った人たちの狙い通りだったのか、彼女の演技力がすごかったからのか……そのあたりは、どう考えるのがいいんでしょう?(笑)。

――その両方なのでは?

綿矢:(笑)。だから、最終的には、事件とは直接関係ないところというか、残された息子のほうに、だんだんと気持ちが移っていくようなところがあって。小説家である妻が無実かどうかよりも、「このあと生きていく人たちは、どうするんだろう」という。死人に口なしではないですけど、少しずつ、そっちのほうに気持ちが動き始めていったようなところがあり、「ああ、裁判っていうのは、いろんな角度から見ることのできるものなんだな」と感じました。

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