『風よ あらしよ』原作者・村山由佳も驚いた吉高由里子の叫び 伊藤野枝の言葉は今こそ響く
今から100年前、女性は結婚して家庭に入るのが当たり前という時代に、結婚制度や社会道徳に異議を唱えた伊藤野枝の壮絶な人生を、村山由佳が熱をもって書いた評伝小説『風よ あらしよ』が劇場版として公開される(NHK BSプレミアムでテレビドラマとして放送)。
主演は、NHK大河ドラマ『光る君へ』で紫式部を演じている吉高由里子。演出は、吉高がヒロインを演じた、朝ドラことNHK連続テレビ小説『花子とアン』のチーフディレクター・柳川強。伊藤野枝が声をあげ、筆を執ってから100年の今、改めて、問う、彼女の志と現代をつなぐものはなにか。原作者の村山由佳と、演出の柳川強が語り合う。(木俣冬)
“幼稚なセンチメンタリズム”が人を動かす根源
――映像化の話が来たとき、村山さんはどう思われましたか?
村山由佳(以下、村山):『風よ あらしよ』に限ったことではないですが、作品の映像化のお話をいただくとき、それが作品のために良い選択であるかということをいつも考えます。『風よ あらしよ』は、NHKに放送してもらうことに意味があるのではなかろうかとまず思いました。というのは、大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』(2019年)で関東大震災のときの朝鮮人への対応について描いたエピソードを観て、よくここまで踏み込んだなと思ったんです。これをやったNHKさんが、描くことに躊躇しそうな話のオンパレードである『風よ あらしよ』をどういうふうに描いてくれるか観てみたいと思ってお任せしました。いざ蓋を開けてみたら、時代考証やセットのひとつひとつをはじめとして、NHKならではの凄さがあったんですよね。お任せしようと思った判断は間違っていなかったなと、ほんとうに嬉しかったです。
――上下巻の長い小説です。それを2時間にまとめるのは大変だったのではないでしょうか?
柳川強(以下、柳川):これだけ分厚く長い原作です。そこに書かれた青踏社の話も、大杉栄と妻と愛人と野枝の四角関係の話もやりたかったし、震災のあとのことももっと取り上げたかった。一番いいのは、トータル8時間くらいの大作にすることですが、そうもいかない。だから、切るのが大変でしたね。最初、脚本の矢島弘一さんが書いた準備稿は250〜60ページくらいあったんです。そこから削って、最終的に180ページくらいの分量にしました。例えば、伊藤野枝さんはふたり、子供を生んでいらっしゃるけれど、映画のなかでは、ふたりめのお子さんの話には踏み込まないなど……刈り込んでいます。
村山:よくぞ、ここまでにまとめてくださいました。小説と映像は別物ですから、あえて変えることがあるのは理解していますので、ある意味、ちゃんと別物として作りながら、原作への最大限のリスペクトをはらってくださっている気がして。原作とまったく同じものだったら作る必要がないわけなので、映像には映像で、できることがあるという作り方をしてくださって、なおかつ、大事なところを何ひとつ、ゆるがせにしないでくださったことがほんとうに嬉しく思いました。
柳川:原作のイメージで、根幹と思ったのは、アタマとラストなんですよね。小説のアタマでね、野枝の目線で井戸を見ている。大ラストもそうじゃないですか。コチラが触発されたのはあれがすべてなんですよね。だから、途中でもそういうイメージで撮っているんです。四角関係で彼女が四面楚歌になったとき、千葉のロケ地なんですけどもーー。
村山:トンネルですか。
柳川:そうです、トンネルの向こうに彼女が立っている、あれは僕らのイメージでは井戸と一緒なんですね。彼女の閉塞感の暗喩というかね。それはもう原作のアタマとおわりの、井戸のなかからの野枝のまなざしが僕らの頭のなかにありました。
村山:小説だったら、言葉を尽くして説明しないといけないことを、映画だったら役者さんの顔をアップにすることだったり、海を映すことだったり。あえて説明を省くことですべてを物語ってしまうことができる。その手際の良さがまた鮮やかでした。私は小説を書くときに、頭のなかに映像が浮かばないと書けないほうで、井戸もそうだし、ある重要な場面で、赤いりんごが転がるところもそうなんですが、そうした映像が自分のなかで立ち上がってはじめて物語が動き出すんです。だから、井戸やりんごなど、その重要なビジュアルイメージを、NHKの8Kのモニターで、ぱーん!と最初にもってきてくださったのを観て、鳥肌が立ったんですよ。私の中にある実際には観たことのない映像をちゃんと見える形にしてくださった。どうしよう、私の中にしかないと思っていた光景をこんな大画面で観ることができるなんて、と。
――伊藤野枝という作家を書くとき、同業者としてはどんなお気持ちなのでしょうか?
村山:とくに野枝の場合は身につまされました。彼女のことを書きながら、こんな時代に戻るのだけは絶対にいやだという思いは強くありましたし、すごいなあ、野枝って、とも思いました。まわりの編集者から野枝を村山さんが書いたら面白いのではないかと言われたときから、約2年を経て連載がはじまり、連載終了後、単行本の用意をしていく間、時代がどんどん野枝の生きた時代に戻っているというか、かつてよりも巧妙な形で、私たちにわからない形で社会がひじょうに息苦しくなってきています。私自身も文章を書いていて窮屈な思いをするんですね。たとえば、ネットでちょっと政治的な発言をするだけで匿名の方々からバッシングされることがあります。野枝たちのように命の危険まではいまのところ覚えずに済んでいますが、野枝たちは、信じることを書いたら殺されました。いつまたそういう時代になるかわからない。そうならないという保証はないと感じています。
ーー『青鞜』の平塚らいてうよりも伊藤野枝に惹かれますか?
村山:そうですね、自分のなかの野生や本能に忠実に動く人のほうが魅力的だなと思います。頭でっかちな人よりも(笑)。
――現代人はどちらかというと理屈にからめとられて、自分の内なるものを解き放つことができなくなっている人が増えた気がします。
村山:テレビやネットで論を張って、もてはやされているような人は、理想をはっきり語らないという、斜に構えたところがありますよね。そのほうがカッコいいというか、何かを肯定するよりは批判しているほうが賢く見えがちなので。でも野枝たちが掲げた理想は、ほんとうにすばらしいものとしてあって、彼女たちはそれをきちんと口にします。理想というのは誰かが口にしなければ、実現できないんですよね。私たちはイメージしたものにしか近づくことができないから、絶対に理想を言葉にして語る人たちが必要なんです。自分たちの命の危機も厭わずに、先陣を切ってくれた人たちのことはもっと取り上げられていいはずで。現代の私たちも、ひるまずに理想を口にすべきだと思うんですよ。
柳川:僕ね、村山さんの原作を読んで、真っ先にやりたいと思ったことがあるんです。野枝の話を実は昔からやりたいと思っていたのですが、原作に知らなかったことがひとつ書いてあって。“組合”の話なんですよ。私の村では、組合というものがあって、共に助け合い……という。あれは、「自助」「共助」「公助」というもののなかの「共助」ですよね。原作を読んでから野枝の文章を全部読んだら、『無政府の事実』という論文に書いてあって、なるほど野枝の肝はここなんだなって。野枝は、村山さんがおっしゃっていたような頭でっかちな人ではなくて、自分が生活している中で、自然とそういう言葉が出たし、その思想に至ったことがすばらしい。今の世の中、まさにそうだと思うんです。これだけ資本主義が行き詰まっているなかで、何をもって、この世のなか生きていけばいいのかって時に、身近にいる人が、助け合いの精神を持って暮らしていけばもう少し世の中が変わるのになあと思っていて。ここが今の時代へのひとつのメッセージだなと感じました。
村山:頭でっかちな人たちといえば、らいてうさんも野上弥生子さんもそうで、野枝の死後に彼女を批判するんですよね。彼女にとって社会主義は真似事でしかなく、百姓の妻が夫について畑に出るようなものだったみたいなことも。本人の思想なんかなかったみたいなことを言っている。それに対する反論を私の小説では村木源次郎に言わせていますけど、野枝自身は一番、実は、社会主義に近いところに本能的にいて、理解していたのではないかって。辻潤は野枝の「幼稚なセンチメンタリズム」を笑いましたが、それこそが人を動かす根源の力なんじゃないかな。
柳川:そうですね、幼稚なセンチメンタリズムで何が悪いって思いますよ。
村山:同情だけなら誰だってできるといっても、でも同情がもとになって行動する人には絶対かなわないんですよ。言論だけで斜に構えている人たちは。そういう社会主義とセンチメンタリズムを野枝は体のなかに持っていたんですよね。それが魅力的ですよね。
柳川:ただ、僕自身は、そう思いながら、実際、行動ができるかっていうと別なんですが……。頭で考えちゃうからなかなかね(笑)。でも、野枝を見習わなければ、と思います。
――稲垣吾郎さんが演じた辻潤の生き方はどうですか?
村山:ああいう人を知っているんですよね……。おつきあいしたこともあるんです。ああこういうやつ、いるいるって身につまされながら書きました。「俺の背中を踏んでおまえは先にいけ」みたいなことを、すごく上から目線で言っていたら、ほんとうに置いてかれる、みたいな(笑)。いや、でも辻潤は辻潤でしんどかったと思います。賢すぎる人はしんどいのでしょうね。もっと単純に生きればいいのにね。
柳川:……村山さん、実は僕は辻潤ファンなんです。
村山:そうなんですか、ごめんなさい! 失礼いたしました!
柳川:僕だけじゃなくて、現場の助監督の中にふたり女性がいてそのふたりがそろって辻潤ファンでした。
村山:へーー(驚)。
柳川:なぜかと言うと、辻潤が思想的に最もぶれず首尾一貫していたから。変わらない良さがあるって。稲垣吾郎さんが演じているから素敵だということだけではなくて、辻潤そのものが素敵なんですって。面白いなあって。
村山:面白いですね。もちろん、魅力のない人では決してないし、突き詰めれば、野枝に最も大きな影響を与えたのは彼じゃなかろうかなとは思うんです。もし、野枝が彼と出会わなかったら、のちの野枝はないですから。彼女の目を開かせたという役割を担っている。ああ、私には雑念が混じっていました(笑)。
柳川:でもやっぱり大杉栄が魅力的ですよ。異性のみならず同性からも惚れられると思う。
村山:大杉栄を演じた永山瑛太さんは『福田村事件』にも出ていらして。どちらも酷い殺され方をする役で、気の毒に……。でも、観た方の思考を根底から揺さぶる作品に積極的にお出になっているのだなと感じます。