英日での舞台化で再注目 新海誠らしさが詰まった『言の葉の庭』の魅力を再発見

「世界っていう言葉がある。私は中学の頃まで、世界っていうのは携帯の電波が届く場所なんだって漠然と思っていた」

 新海誠監督の名を最初に知らしめた短編映画『ほしのこえ』(2002年)の冒頭で繰り出される、このモノローグが象徴しているように、新海監督の作品といえば選び抜かれ、研ぎ澄まされた言葉がモノローグによってテンポ良く繰り出されて、気持ちを引きつけてくれるところがあった。あるいは、作品の世界に浸らせてくれるようなところが。 

 そのモノローグが、『君の名は。』から少しずつなりを潜めていった。プロデュースサイドからの意見を聞き入れ、意識して減らしていったらしい。『すずめの戸締まり』のBlu-rayが発売されるにあたって、「おかえり上映」と銘打って行われた再上映の際の舞台挨拶でも、新海監督は『すずめの戸締まり』の冒頭をモノローグにしようとしたものの、結局は外し、結果として大ヒットしたことを話していた。

『君の名は。』©︎2016「君の名は。」製作委員会

 自分が好きなことと、大勢の観客が好きなことには違いがある。そこで、自分の好きを貫いて、自分色にどっぷりと染まった作品を打ち出しても、それなりのヒットを飛ばしてしまうクリエイターも存在はする。『言の葉の庭』と同じ年に公開された『風立ちぬ』(2013年)から10年ぶりとなる長編アニメ『君たちはどう生きるか』(2023年)を手掛けた宮﨑駿監督のことだが、興収100億円超え作品の数で5本の宮﨑監督に次ぐ3本の記録を持つ新海監督でも、その境地に浸れるほど映画興行の世界は甘くはない。

 キャラクターの感情を浴びせるようなモノローグを冒頭に置くよりも、キャラクターが動いて何かしている姿を見せて興味を抱かせた方が、観客にとっては作品に入り込みやすい。そんなプロデュースサイドの要望を聞き入れていったことで、新海監督の作品は一般性を持つようになって大勢の観客に刺さり、興行成績において結果を出すようになった。

『天気の子』©︎2019「天気の子」製作委員会

 たとえ一般性を追求したとしても、キャラクターたちの瑞々しい感性や感情が伝わってくる絵であり、丁寧に描かれた美しい背景であり、奇妙な出来事を発端にして観る人を引っ張っていくストーリーといった新海監督の特徴は引き継がれ、ひとりの映像作家として誰もが知る存在になっている。RADWIMPSといいう音楽面でのパートナーも得て、ひとつの完成された新海ワールドをこの3作で築き上げたところもある。

 そんな新海監督が、“モノローグ禁止”の縛りを受ける前に手掛けた『言の葉の庭』を、今回の舞台化をきっかけに観返して、きっと誰もが思うだろう。タカオの声を演じた入野自由による「あの人に会いたいと思うけれど、その気持ちを抱え込んでいるだけでは、きっといつまでもガキのままだ」というモノローグや、ユキノ役の花澤香菜による「27歳の私は、15歳の頃の私より少しも賢くない」といった、心情が強く感じられるモノローグの強さを。鋭さを。

 そして願うだろう。次こそはモノローグにまみれた新海作品を観てみたいと。そうした反応があることを感じて、新海監督も『すずめの戸締まり』の舞台挨拶で、次はモノローグを凄く入れてみようかなといったリップサービスを繰り出してくれた。

『すずめの戸締まり』©︎2022「すずめの戸締まり」製作委員会

 そのタイミングが次回作になるかどうかはプロデュースサイド次第だろう。ただ、今年の2月に50歳を迎えた新海監督が、年相応といった言葉に似合う作品を手掛けるようになっていった時、『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締まり』ではあえて封印した“新海誠監督らしさ”が帰ってくることがあるかもしれない。 

 モノローグしかり、フェティッシュな描写しかり、ハッピーエンドとは言えないけれどキリッと居住まいを正されるエンディングしかり。短いけれどそうした“新海誠監督らしさ”がギュッと詰まった『言の葉の庭』を今観返して、新海監督の来し方を振り返りつつ行く末を想像しよう。

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