『初恋、ざらり』を貫く「おんなじ」の難しさ 簡単に結論付けしない“苦さ”を噛みしめる

「岡村さん、好きです」
「両思いだから、くっついてもいいですか?」
「私が笑うと、笑うんだ。岡村さんの隣にいたい」

 9月22日で最終回を迎える『初恋、ざらり』(テレビ東京系)を観ていると、胸の奥がツーンとなって涙が出てくる。この涙の訳は何なのだろう。

 ざくざくろによる同名漫画を原作とした本作は、軽度知的障害と自閉症を抱える有紗(小野花梨)と、“普通”を信条として生きてきた優しい中年男・岡村(風間俊介)の恋愛を描いている。物語のスタンスとして、バリアフリーがどうだとか、ダイバーシティがどうだみたいなことは語らない。「お涙頂戴」の作品でもない。ただ、有紗と岡村をとり巻く日常が、そして2人の切なさと苦しさが、丹念に映像に刻まれている。

 コンパニオンとして働きながら「女性」を搾取され続けてきた有紗が「普通になりたい」と願い、障害の事実を伏せて運送会社の面接を受けることから、物語は始まる。仕分け係のパートとして採用された有紗は、職場で社員の岡村と出会い、惹かれ合う。第1話のラストシーンまでに、2人はすっかり恋に落ちているのだが、そこに至る心情の「必然」が圧巻だった。誰もが一度は身に覚えのある感情をフックとして、物語の世界に引き込みながらも、有紗の境遇が、視聴者の心に「ざらり」としたものを残す。

 慌てると靴下をちぐはぐに履いてしまうこと。水族館で買ったお揃いのくらげのキーホルダー。2人ともハンバーグを作るのが初めてだったこと。ことあるごとに有紗は「おんなじですね」と嬉しそうに笑う。有紗は、いわゆる“普通の幸せ”に恵まれているように見える、同世代の女性たちと「おんなじ」になりたい、「普通」になりたいとずっと願っている。

 「おんなじ」の難しさが、絶えずこの物語を貫いている。そして、「普通」って何だ? という問いを、観る者にグサグサと突きつけてくる。有紗の障害は軽度で、一見しただけではそうだとわからない。この、「パッと見“普通”に見える」というところに彼女の苦しみがある。このドラマで頻繁に流れる「水中の音」のSEが、有紗の内面世界を表しているようだ。有紗は常に透明な水の結界に包まれていて、そこから出られない。有紗の目に“外”の世界は見えているし、“外”からも彼女の姿は見えるのに、一向にそこには辿り着けない。岡村もその中には入れない。有紗の抱えているものの重たさが、苦しい。

 そして、有紗が「普通」になりたいともがけばもがくほど、“水の結界”はどんどん大きくなってしまう。有紗が会社に障害のことを伏せていたがゆえ、人手不足の配車係に異動になるのだが、これまでに経験したことのない難しい仕事にパニックを起こして、大混乱を招いてしまう。岡村はそのフォローに回り、繁忙期も重なって、有紗とゆっくり話すこともままならない。

「できないことが多すぎて、苦しい」
「『それでいい』と言ってくれる優しさが……苦しい」

 有紗を傷つけまいと、岡村は嘘をつく。有紗に配車係の仕事は無理だから、仕分け係に戻すのではなく、仕分け係のパートの皆が「『有紗ちゃん戻ってきて~』ってうるさい」のだと、優しい嘘をつく。このことが、有紗を徹底的に“水中”に沈めてしまう。有紗は結局岡村と、そして自分自身と向き合うことから「逃げ」て、別れを選んでしまった。

 運送会社のパート仲間のおばちゃんたちや、上司の天野(西山繭子)の視点。支援学校時代からの有紗の親友・友子(高山璃子)が公園で発作を起こしたときの、“世間”の視点。このドラマに登場する様々な人の視点が、障害者が置かれる現状を浮き彫りにする。何らかの社会生活を営んで、何らかの社会規範の中で生きているテレビの前の私たちは、どんなに打ち消そうとしても心の中に打算や体裁や色眼鏡や、大なり小なりの“不純物”がある。このドラマを観ていると、自分の中にある“不純物”を、目の当たりにさせられる。

 有紗を愛してやまない岡村もまた、同じだ。岡村は有紗に障害があると知ってから、ずっと「罪悪感」という言葉を心の中でくり返してきた。岡村と有紗は「おんなじ」にはなれない。「愛があれば乗り越えられる」「支え合えば大丈夫」などと、このドラマは簡単に結論づけしない。その「苦さ」が、視聴者の心に残る「ざらり」の正体なのだろう。

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