『D.P.』シーズン2が感動を誘う理由 “男らしさ”を手放し、互いに寄り添える社会のために

『D.P.』シーズン2が感動を誘う理由

「男性らしさ」に包括されない多様なキャラクター

 登場するキャラクターがより多様になったことも、ドラマが深みを増した理由だ。第3話では、ある脱走兵ソンミン(ペ・ナラ)のエピソードが語られる。大学時代にチェーホフの戯曲『かもめ』でニーナを演じた彼にとって、女性の姿こそがありのままの自分なのだった。しかし、そんなソンミンの仕草や佇まいは嘲笑の対象となり、激しい暴力と辱めを受ける。ソンミンは、軍入隊後に性別適合手術を受けたことを理由に除隊処分となり、部隊への復帰を求めて戦ったトランスジェンダーのピョン・ヒスさんを想起させるクィアな存在だ。訴えは退けられ、ヒスさんは2021年に自宅で亡くなった。『D.P. -脱走兵追跡官-』はこのように、ドラマの中で集団社会の不条理を告発する。

 ソンミンというキャラクターは象徴的だが、実は『D.P. -脱走兵追跡官-』は、シリーズを通してジュノとホヨルを強靱な男性として描いてはいない。特にシーズン2は、深く傷ついた2人の姿がスタートから映し出されている。先に触れたがむしゃらで泥臭いアクションシーンも含め、ジュノとホヨルはステレオタイプな男性性で括れない。

 男性性、つまり男性らしさとは「男性の歴史がつくり出した習慣、伝統、信念の組み合わせ」であると示したのは、『男らしさの終焉』の著者で異性装のアーティスト、グレイソン・ペリーだ。(※2)同著曰く、男らしさとは「女々しいのはダメ」「弱さの否定」だ。圧倒的に男性が多い集団ーーたとえば戦闘行為と分かちがたい、軍隊のような組織ーーが苛烈な暴力と分かちがたいのは、男性らしさが強さのみを絶対的な正しさと認識しているためではないだろうか。男性であることそのものが忌まわしいのではない。男らしさとは亡霊のようなものだ。人間は悩みや弱さをも抱えた複雑な存在であることが共有されている現代で、この悪習は今も男性たちを縛り付けている。その苦悩が、集団や共同体のマイノリティ(そして“女々しさ”そのもの)である女性に暴力や抑圧となって向かうからこそ、男性らしさは有害なのだ。ジュノとホヨルは、こうした男性らしさを積極的に手放している。

 朝鮮戦争が休戦してから、今年で70年が経つ。北朝鮮に対し融和的だった文在寅政権とは異なり、現政権の尹錫悦大統領は制裁や圧力で向き合う姿勢を表明しており、一方の北朝鮮もミサイル発射の軍事行動を続けている。朝鮮半島の統一が未だ不透明な中で、韓国人青年に課せられた兵役義務が役割を終えて社会から消える日は、すぐには想像できない。

 ならば、歪な現状を少しでも変えるために最善が尽くされるべきだ。『D.P. -脱走兵追跡官-』は、暴力に傷ついて逃走する者の声に耳を傾け、傍観せずに寄り添おうとする者たちの奮闘が記録されている。葛藤を抱えて行動するジュノとホヨルの姿を通して、“あなただって、悩みながらも行動できるのだ”というメッセージを明確に伝えているから、強い感動を誘うのではないだろうか。

参照

※1. https://www.youtube.com/watch?v=UCsIzVdKnHM
※2. グレイソン・ペリー『男らしさの終焉』(フィルムアート社)

■配信情報
『D.P. -脱走兵追跡官-』シーズン2
Netflixにて独占配信中
出演:チョン・ヘイン、ク・ギョファン、キム・ソンギュン
原作・制作:ハン・ジュニ、キム・ボトン

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