『バービー』は娯楽大作かつ現代を代表する圧倒的な映画に 作品に込められた強度と信念

『バービー』が度肝を抜く一作になった理由

 一方、ケン(ライアン・ゴズリング)や他のケン(シム・リウ)たち男性キャラクターは、人形のシリーズの扱いがそうであるように、あくまでバービーの添え物であり、主体性が剥奪されている状態にある。この女性中心の願望の反映は、ある意味で現実のアメリカ社会に存在する男性上位の概念の裏返しになっているといえよう。だからこそ、現実世界に足を踏み入れたケンはカルチャーショックを受けるのである。

 面白いのは、ケンが現実世界の男性の社会的地位の高さに感化され、バービーランドに現実の概念を持ち込むという展開である。しかし、それはバービーランドにおける男性の地位向上というよりは、さまざまな現実の問題を含んだ、いわゆる「有害な男性性」の移植でしかなく、とくにバービーたちにとっては不要な混乱を呼び込んでしまうのだった。

 しかし男性であることを特権化するためには、男たちがそれぞれに自らの男性性を強調せねばならず、お互いにマッチョな価値観のなかでマウントを取り合うことを余儀なくされていくことになる。男にとっても、やはりそれは辛いことなのだ。

 そんな現実世界の問題がバービーランドに重ねられてしまったことで、ケンたちも現実の男たち同様に、裏で辛い思いにかられたり、確執を生む土壌を醸成させることとなり、そんな状況は内戦を勃発させる展開を導いていく。歴史が示してきたように、マッチョの過度な顕示は戦争などの争いにまで繋がってしまうということを、本作は主張しているのである。そして、“男性”という特徴をマジョリティとして特別視して考えるのでなく、数々の多様性の一つとして、他の特徴同様に尊重すべきものでしかないという見方を提示している。

 ここでガーウィグ監督は、女性の夢の国だったバービーランドを、女性にとって生きにくい、男性中心の現実的な社会にわざわざ変化させたということになる。そこで始まるのが、バービーら女性たちの反乱であり革命だ。本作に登場する、現実世界の男性会社員は、この社会は女性差別を許していないと語るが、同時に“そう思わせている”とも示唆していた。これは、現在の社会には表面的な差別が見えにくくなってきているが、構造上の差別を温存させているということだ。

 アメリカ・フェレーラ演じるグロリアは、現実の世界に生きる生身の女性として、バービーたちに、そんなシステムのなかにいることに気づき、目を覚ますように呼びかける。これはまさに、差別や偏見に対抗する“Woke”の視覚化だと考えられる。そして観客たちに、社会を変えるための具体的な方法として、投票行動を示唆している。

 つまり、バービーランドでの啓蒙と革命は、そのまま現実社会での呼びかけでもあり、本作は「自分たちの手で、女性の尊重される世界にしよう」と、具体的に観客にうったえかけていることになる。だからこの作品を、優位性を保持していたい保守的な男性が攻撃したくなるというのは、ある意味で当然のことなのだ。現実社会の投票率を考えれば、女性たちが連帯し、本気で社会をひっくり返してやろうとすれば、社会は間違いなく変化させることができるのである。娯楽大作でこのようにはっきりとした政治的な主張をするというのは、アメリカでも異例なことだといえる。だからこそ、本作『バービー』は圧倒的なのだ。

 政治理念や政治の行動を映画で呼びかけることに、ある種の危うさを感じたり、純粋な娯楽ではないと考える観客もいるかもしれない。だが、そもそも映画を含めた創作とは、その多くが社会性と不可分のものであり、多かれ少なかれ政治的な要素が入ってしまうものだ。であれば、その政治性をこそ娯楽化すればいいのではないか。そういった意味で『バービー』は、一種のポリティカル・エンターテインメントといえるようなものにも仕上がっているといえる。

 では、どのように政治性を娯楽化しているのかといえば、それは随所に織り込まれた皮肉なユーモアだ。その辛辣さは、ときにむしろ差別的だと言われてしまうほどにギリギリの線を攻めていて、まさにアメリカの過激なスタンダップ・コメディアンの域に達しているといえよう。本作を「高度」と前述したのには、そういう意味合いもある。そして、繰り出されるセリフのほとんどが、フェミニズムのトピックを中心とした、何らかの問題提起だったり皮肉として提出されている。

 この辛辣なユーモアは、多くの特徴を持った立場に対しても投げかけることになり、マーゴット・ロビーのような白人のスター俳優もまた、当然その射程圏内となる。そして本作では、そんな彼女による主人公バービーもまた、本作における男性がそうであるように、特権性を排したかたちであれば多様性の一部として認められるはずだという考え方が示されるのである。典型的で古いタイプの女性だとしても、他者の権利を侵さない限りにおいて、最大限尊重されるべきなのだと。

 バービーは、表面的には人形であり“物”である。だが、劇中である人物が、彼女の可能性を語りかけるように、それをどのように理解し、どう活かしていくかということは、これからの社会の人々、子どもたちの手に委ねられている。そしてラストシーンが示唆するのは、彼女が同時に女性であるということだ。彼女が女性であるという部分において、彼女は“物”ではなく、尊重すべき概念となる。

 女性はありのままで、紛れもなく生きた存在であり、男性社会のなかで自由に使われるような“物”になるべきではない。自分の考えを主張して、他者を思いやり、連帯して世界を変えることができる。そのことを世界は当然認めるべきであり、この映画を楽しむ女性たち自身もその当たり前のことをいつでも意識していてほしい……本作『バービー』が最終的に強調しているのは、まさにそんなメッセージなのではないだろうか。

 映画『バービー』は、高度に考え抜かれたフェミニズムの一歩であり、多様性の尊重の必要性を示す、優れた説明になっている。だからこそ、本作をできるだけ多くの観客に観てもらいたい。この作品が、新しい時代の到来を迎え、自ら引き寄せるための一つの共通認識となっていくと考えられるからである。

■公開情報
映画『バービー』
全国公開中
出演:マーゴット・ロビー、ライアン・ゴズリング、ウィル・フェレル、シム・リウ、デュア・リパ、ヘレン・ミレン
監督・脚本:グレタ・ガーウィグ
脚本:ノア・バームバック
配給:ワーナー・ブラザース映画
©2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
公式サイト:barbie-movie.jp
公式Twitter:@BarbieMovie_jp
公式Instagram:@barbiemovie_jp

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