『unknown』はただの“考察ドラマ”ではなかった 最終回後も残り続ける町田啓太の言葉
ドラマ『unknown』(テレビ朝日系)が最終回を迎えて1週間が経つ。『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)チームの再集結によって作られた『unknown』。「本格ラブ・サスペンス」と言いつつ、吉田鋼太郎の一挙一動及び『おっさんずラブ』コンビでもある田中圭とのやりとりに笑いが止まらないドラマであり、いわゆる「考察もの」ドラマでもあった本作は、一見明るく楽しい謎解きドラマだった。しかし、いざ終わってみると、ちょっとやそっとでは頭の中から消せない、重たい余韻を視聴者に与え続けている。
『unknown』は、脚本を手がける徳尾浩司、監督の瑠東東一郎をはじめとする『おっさんずラブ』スタッフに加え、『夕暮れに、手をつなぐ』(TBS系)、『コントが始まる』(日本テレビ系)を手がけた金井紘が監督を務めた作品である。何より強烈な印象を残したのは、こころの良き相談相手であり理解者である一方で、吸血鬼を狙った連続殺人事件の犯人だった加賀美圭介を演じた町田啓太だろう。
掴みどころのない魅力でこころ(高畑充希)と虎松(田中圭)どころか視聴者の多くを翻弄したと言える愛すべき好青年は、こころへの想いを僅かばかりに残したまま、子供の頃の思い出の味であるコロッケと、昔読んだ絵本に執着を見せる、無邪気な少年のような印象をそのままに、一転グロテスクな思考の連続殺人犯に成り代わった。そして、その理論の破綻ゆえに、自分を見失い、破滅していった。そのあまりにも重い衝撃を起点にして、この一見ポップでキュートな吸血鬼ドラマが描こうとしたことを、ちゃんと考えてみる。加賀美を「鏡」として、私たちの生きるこの世界の歪みを見つめることが、もしかしたらこの未知なるドラマ『unknown』の試みだったのかもしれないからだ。
本作には多くの「unknown」が散りばめられている。第1に人間にとっての、吸血鬼という「unknown」な存在。とはいえ本作の吸血鬼は、ほとんど人間と変わらない。人より過剰に日焼け止めを塗って、タブレットやゼリー飲料で頻繁に血を摂取しなければ弱ってしまう脆弱な存在であるだけだ。幼い頃から他の人と少し違う習慣と特性を持つために生きづらさを抱え、「日陰でひっそりと目立たぬように生きて」きたのにかかわらず、SNSで悪質な誹謗中傷を受け、おとぎ話を真に受けた加賀美に狙われる。
「人間は、自分の理解を越えた悲劇に直面した時、何か悪者を仕立てあげて、そいつのせいにしなきゃ気が済まない。今回それが我々吸血鬼だったというわけだ」とは、第5話において、海造(吉田鋼太郎)が、一連の事件が「吸血鬼殺人事件」と言われていることに対して放った言葉。それがそのまま、加賀美の動機に繋がり、まさに本作を象徴する言葉となった。
吸血鬼対人間の戦いが描かれた作品は、ジャンル問わず、古くから存在するが、本作は、当然ながら、本来の吸血鬼ものの決まり事とも言える「人間が吸血鬼をやっつけて終わる」物語ではない。クライマックスと言える、吸血鬼・こころと、人間・加賀美の対峙の場面は、逆に、自分のことを「正義」と信じ、吸血鬼を「人間にとって害」だと信じて疑わない人間側である加賀美の持つ底知れない歪さを浮き上がらせる。それならこれは、本来の構造の逆である「吸血鬼が人間をやっつけて終わる」物語かというとそういうことはなく、さらに本作は、「私たちはちゃんと話すべき」だと歩み寄り、彼の「unknown」を知った上で、それでも確かに通じ合っていたはずの心の奥底に懸命に触れようとするこころの姿を描いた。そして、吸血鬼に変わる新たな「怪物」として彼の一部分だけを切り取り断罪するマスメディア及びSNSの書き込みに対して伊織(麻生久美子)が一喝する姿を描いた。
本作は、「吸血鬼」という架空の存在をモチーフにした、世界中のあらゆる差別や迫害についての寓話なのだろう。そしてその寓話の最後の1ページは、「闇」に潜んで生きてきた闇原家の面々の、それぞれの明るい朝で終わる。