橋本淳×稲葉友、尊敬し合う役者としての姿勢 「一緒に仕事ができるのは幸せ」
小学生の頃、もっとも親しかった友人と大人になっても連絡を取り合い、一緒の時間を過ごす人がどれだけいるだろうか。学生時代、家族よりも一緒の時間を過ごし、いつも笑い合っていた友人と、喧嘩をしたわけでもないのに、少しずつ距離が離れていってしまった。そんな経験を持つ人は少なからずいるように思う。映画『よっす、おまたせ、じゃあまたね。』は、そんな思いを抱えたことがある人にとっては、とんでもなく“自分のため”の作品になる1作だ。
主人公は大学受験の失敗により、引きこもり生活をおくっていた「ちばしん」(橋本淳)。そして、「俺死んでるから死体を見つけてほしい」と突然ちばしんにお願いをしてくる小学生時代の親友「ながちん」(稲葉友)。引きこもりの青年と幽霊(?)の青年による、“自分を探す物語”が紡がれていく。
切なく愛おしいふたりの主人公を演じたのは橋本淳と稲葉友。プライベートでも仲がいいというふたりに、本作に懸けた思い、互いの魅力などを語り合ってもらった。【インタビューの最後にはチェキプレゼントあり】
互いの信頼関係によって成立した『よっす、おまたせ、じゃあまたね。』
――本作を観たあと、思わず昔の友達に連絡をしてしまいました。多くの人の共感を呼ぶ1作になっていると感じましたが、おふたりは完成した作品を観たときに何を感じましたか?
橋本淳(以下、橋本):脚本を頂いて、撮影をしているときから感じていたことなのですが、人との関係性の大切さを感じさせてくれる、それでいて優しさで包み込んでくれる作品だなと。いろんな傷を抱えている方が今この世の中で生きていると思うんですけど、その傷すらも優しく、強要せずに癒してくれるような映画になったのではないかと思いました。
稲葉友(以下、稲葉):「友達に連絡した」という言葉はとてもうれしい感想です。本当に心の温度が上がる作品といいますか、あっちゃん(橋本淳)が言ってくれたように、優しい作品だと感じました。人生で出会った人、出来事をふと思い出すきっかけになるような1作になったのではないかと思います。
ーー『よっす、おまたせ、じゃあまたね。』プレスにも記載されているコメントからも、おふたりの本作に対する熱い思いを感じました。
稲葉:あっちゃん、明らかに文字数オーバーしてたでしょ。
橋本:200文字だったはずだけど、300文字以上書いていると思う(笑)。
稲葉:俺はめちゃくちゃきちんと守っているのに、掲載されたの見たらあっちゃん全然守ってなくて(笑)。
橋本:大体オーバーしちゃうんだよね。
――(笑)。今のやりとりだけを聞いていると、素のふたりは演じたキャラクターとは逆のような感じですか?
稲葉:どっちにもどっちの部分があるので、何とも言えないですね。
橋本:友くんとは付き合いも長いので、ちばしんっぽい部分とながちんっぽい部分、両方がありますね。
――個性豊かなキャラクターは登場しますが、ふたり芝居と言っても過言ではない作品なだけに、互いを信頼し合えていなければ成立しなかった作品だと感じます。
橋本:友くんがやるなら僕も絶対にやりたいと思うぐらい信頼はしていたので、一緒にできて本当に嬉しかったですね。撮影日数は限られていたので、ふたりの掛け合いのシーンは特にNGを出せないようなシチュエーションが多かったんです。クランクイン前から関係を築けていたことが本当に大きくて、芝居に関しても預けていい部分は預けられるし、ほっぽり出しても鮮やかに拾ってくれるという信頼感もあり、友くんだからこそ自由にやらせてもらいました。
稲葉:恐れ多いですね。僕もあっちゃんと映画でがっつりやれるという最初の情報だけでめちゃくちゃ嬉しかったです。共演したのは10年ほど前なのですが、それからもお互いの演劇作品にも足を運んでいて。何をやっても何とかしてくれるだろうと(笑)。絶大な信頼感がありました。
――約10年ぶりの共演とのことですが、いつも一緒にいた親友という役柄ではなく、小学校時代の親友という関係性も微妙にシンクロする部分があったのでは?
橋本:それはあるかもしれません。ちばしんは引きこもりだったこともあり、死んでいるように毎日を生きているというか、何を言われても反応が薄い。でも、ながちんの“パワープレイ”によって、多分過去の記憶も走馬灯のように溢れてきて、“いまを生きているんだ”と思えてくれる。その状況は、ちばしんとして、そして僕自身としてもこの数十年を思い出すような感覚があって、撮影期間は楽しかったし、救われた部分があったんです。何度も言っていて恥ずかしいですが、友くんだからこそですね。
稲葉:いやいや、こちらこそ。ながちんはちばしんが死んでいるような毎日を送っていたからといって、決して腫れ物に触るような扱いはしないんですよね。なぜなら、「ちばしんは大丈夫っしょ!」という思いがあるから。それは僕があっちゃんに思う部分とも重なるところがあって、表面的ではない信頼があるからこそできた芝居だったなと、いま喋りながら思いました。
――ちばしんがどんどんプラスに向かっていくのに対して、ながちんは「死」を受け入れるというマイナスに向かっていく対照的な形です。芝居のトーンなどはふたりでも相談を?
橋本:話してはいないよね。
稲葉:うん。脚本がしっかりしているので、お互いにこうしようと思わなくて、まっすぐ歩いて行ったら自然とその形になっていった感じです。
橋本:順撮りに近かったのも大きいです。お互いに「何か変化しよう」という意識がなくて、純粋に描かれたものに反応して、自然な形でそうなっていった。猪俣(和磨)監督が狙っていた部分だと思いますし、撮り方も面白いですよね。現実を生きてるのに、現実感がない生活をしている人と、現実を生きていないのに現実感があることをしようとする人がだんだん逆転していく。最後は状態通りの二人に戻るので、そこに寂しさや憂いが生まれて。ちばしんとながちんはふたりで「100」で、それが僕と友くんで特別な意識をせずにできたことは非常に嬉しかったです。
――その点でいうと、ながちんは最初が「100」なだけに、稲葉さんは最初が一番難しかったのでは? 文字面だけだと「死んだ友人がファミコンのソフトを返してくる」というなかなかヤバい感じで。
一同:(笑)。
稲葉:おっしゃるとおりで、自分もこれは設定を作り込んでいかないとまずいぞと思ったんです。でも、ふとしたときに、普段の僕らだって、「生きているぞ!」と思いながら生きているわけではなくて、死んでいるからこうしないといけないとか、逆説的に考えなくてもいいんじゃないかと。
橋本:ちばしんが引きこもりになるまでにどんなことがあったのか、ながちんがなぜ死んでしまったのか、本作ははっきりとは描いていません。きっと監督の中では何か設定はあると思うのですが、あんまり説明をしないからこそ、観ていただく人を選ばない間口の広さがあるのではないかなと。客観的に見ると変な人しか出てこない作品なのですが(笑)、みんな一生懸命に現実を生きている人なんです。そんな人たちの背景を曖昧にすることで、観ていただく方が乗っかりやすい部分があるのではないかなと僕は捉えています。
――終盤のあるシーンのおふたりの表情がとても素晴らしかったです。セリフではない、表情だけで見せるシーンだからこそ、映像、映画ならではのシーンになっていると感じました。
稲葉:ちばしんとながちんの物語的な意味での立ち位置が入れ替わるシーンですね。本当にあのシーンは現場の空気もよくて、役者として、「ああ、この作品で出会えてよかった」としみじみ思った瞬間でした。
橋本:ちばしんの心が開いていくシーンで。ずっと一緒に撮影をしていたのに、このシーンは同じ空間に稲葉友がいないんですよ。だから、ドアの外にいる彼に向けて、声のトーンだったり、思いを届けるイメージで演じていました。