『あなたがしてくれなくても』みちへの解釈が共感の分かれ目 本当に“可哀想な女性”なのか
セックスレスをテーマに、交錯する男女の姿を描くドラマ 『あなたがしてくれなくても』(フジテレビ系)。つい人に話したくなるような“危なっかしい”ストーリー展開がSNSで毎週盛り上がりを見せている。『あなたがしてくれなくても』に対するこの奇妙なざわざわ感は、共感なのか、はたまた嫌悪感なのか。その分かれ目は、奈緒演じる主人公・みちへの解釈にあるのではないだろうか。
序盤のみちは自己犠牲的な一面こそあるものの、かわいらしく献身的な女性として描かれていた。ドジで少し不憫なオーラもチャームポイントとして相まって、「レス」に悩む一般的なOLとして、夫婦関係に悩む視聴者の共感を得ていたように思う。体のことである限り仕方のないことだと理解していても、陽一(永山瑛太)に拒まれ続けるみちを可哀想だと感じた方も多いはずだ。
ところが展開が進むにつれて、みちはどことなく見ていて気になる側面が多くなる。上司である誠(岩田剛典)との曖昧な関係性然り、浮気について口を滑らせた陽一への態度にしても、「みちに涙を流す権利はあるのか?」という点はなかなか疑問を抱く部分でもある。さらには、陽一との出会いの喫茶店のシーンで、たどたどしくもかなり積極的にモーションをかけるみちの姿にはしたたかな一面も見えた。彼女をどのような存在と捉えるかで、本作の見方はガラリと変わるだろう。
では一体、みちの何が絶妙に心をざわつかせるのだろうと考えてみた。その理由としては2つあった。まずは、みちの“弱さを装った図太さ”である。言葉を選ばずにいえば、みちは常に悲劇のヒロインとして、選択を相手に任せるばかり。陽一を病院に行かせたかったのも、真に心配しているというよりは、深層心理では「病気と判定されることで自分に魅力がないわけではない」と安心したかったことの表れではないか。
また、陽一に傷つけられたことを理由に誠のもとへと走る姿からは、悲しさを全面に出しつつも、心のどこかでずっと誠との関係を構築していくきっかけを探していたのではないかとも思える迷いのなさも感じられた。しかもみちの場合、その図太さはあくまで無意識に出ている。だからこそ絶対的な悪人ともいえず、なんだかもやもやしてしまうのだろう。