『日曜の夜ぐらいは...』清野菜名、岸井ゆきの、生見愛瑠の孤独 岡山天音がキューピッドに

『日曜の夜ぐらいは...』清野菜名らの孤独

 「人と人と人が出会ってしまった」夢みたいなツアーバスを降りた3人には、パッとしなくってままならない日常が待ち受けていた。しかもバスに乗る前と変わらぬその日々は彼女らにとってより苦々しいものとして容赦なく襲ってくる。だって一度は束の間“なんでもないことを話せる相手”を得たのに、その頼もしさと心地よさに存分浸ってしまったのに……みすみす自らその関係性を手放してしまったのだから。比較対象ができてしまった今こそ、より辛さが際立ってしまう。

 『日曜の夜ぐらいは...』(ABCテレビ・テレビ朝日系)第2話では、バス降車後、随所随所で互いの“不在”を感じずにはいられないサチ(清野菜名)、翔子(岸井ゆきの)、若葉(生見愛瑠)の3人の姿と、それぞれが抱える孤独の輪郭がそっと描かれた。

 サチの母・邦子(和久井映見)はサチの忘れ物のお弁当箱を届けようと階段で転倒し車椅子生活を余儀なくされたようだ。「全部自分のせいだから」と母親の介助に名乗り出たサチは、だからこそ一人でその責任の全てを背負い込み周囲に助けを一切求めない。回想シーンには離婚した父親も登場したが、新たな家庭を築いているようで、悪い人ではないのだろうがなんだか軽薄そうで頼りなさが滲むし、本気ではサチの力にはなってくれなさそうだ。自力でなんとかするために高校も辞めたサチは、自分から「私そういうんじゃないんで」と先に線引きし、相手との間に予防線を張る術を自然と身につけ、自身の殻に閉じこもっていく。たった一人で立ち続けるために、何とか踏ん張るために。「こういうとき言葉にしないで乗り越えて来たのに、誰かに喋りたくなってんじゃん」というサチの戸惑い気味の独り言が胸を突く。

 “友達”と呼べる存在が一人もいないのは若葉も同じだ。自分の父親が誰だか不明で、“男と金に負けた”奔放な母親の噂は狭い田舎では格好のネタだったのだろう。その母親の娘とは仲良くしてはいけないと言いつけられた子どもたちは彼女に寄りつこうとしなかったようで、これまで一度だって友達ができたことがないという。それなのに全く求めてもいない男性からの好意的な視線にずっと追いかけられ、今も勤務先のちくわぶ工場で嫌がらせまで受けていたりする。あのとっておきの3人の関係を継続できなかったことについても「人生でさ、初めて友達できたのかと思ったんだけど、違ったみたい。なんか私が良くなかったなと思う、距離感とかわかんないからだと思う」と自分のせいなのだと思い込み涙する若葉の姿は見ていられない。

 元ヤンでタクシー運転手の翔子が抱える寂しさもまた根深そうだ。たまたま彼女が運転するタクシーに乗り合わせた兄はエリート臭を漂わせており「俺に妹なんていない」と切り捨てるように言い放つ。母親も「自分の子どもは息子2人」と言い張っているようで家庭内で彼女の存在は抹消されているようだ。翔子の底抜けの明るさからは想像がつかないほどに、彼女はお堅い両親の元に生まれついたようだ。

 そんな3人の再会のキューピッドとなったのは、バスツアーの世話役兼リスナー代表のみね(岡山天音)だった。そして彼女らを結んだのは1人1枚ずつ買った“お守り”のような宝くじの紙切れ。バスを降りた3人組のその後の様子が気になるみねは、運営サイドの特権を生かしてなんとかそれぞれにアクセスを試み、そして次回のバスツアーの案内をする。

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