高校生よ!『ザ・ホエール』を今すぐ観に行け 自由な人生を歩むヒントがそこにある
リアルサウンド映画部の編集スタッフが週替りでお届けする「週末映画館でこれ観よう!」。毎週末にオススメ映画・特集上映をご紹介。今週は、最近好きなキャラクターとしてルフィやナルトのような主人公キャラを選ぶ性格に変わってきた間瀬が『ザ・ホエール』をプッシュします。
『ザ・ホエール』
第95回アカデミー賞にて、本作で主演男優賞を受賞したブレンダン・フレイザーが演じるチャーリーは、体重272キロもの巨漢の男。職業は大学でエッセイの講師をしている。そしてチャーリーはその体型ゆえに、緩やかに死に向かっている。そんな彼のもとを訪れる人々との関わり合いを軸にさまざまなテーマが表面化する本作において、強く印象に残ったのは娘のエリーが書いた『白鯨』のエッセイにまつわるエピソードだ。チャーリーは、エリーの書いたお世辞にも名文とはいえない、“書き殴った”ともいえるエッセイを、何度も読み直しては声を、そして心を震わす。それはなぜなのかーー。
「デタラメでもなんでもいいから自由に絵を描いていい」
そう言われたとき、過去や他人の模倣ではなく真に自由な絵を描くのは、真に自由な人間にしかできない。それでも真に自由であろうとするならば、たとえ自由に絵を描けなくてもかまわない、それくらいの自由感で描く。そう唱えたのは、「芸術は爆発だ」のフレーズが有名な、芸術家の岡本太郎。
吉本ばななの小説『High and dry (はつ恋)』(文藝春秋)の登場人物で、小学生相手に絵を教えているキュウくんは、自由に絵を描くことをモットーにしている。それでも生徒たちがキュウくんに媚びた絵を描くと、キュウくんは泣きそうな顔で「なんでもいいから、線一本でもいいから、自分の絵を描いて。ピカチュウも禁止。アンパンマンもだめ」と訴える。
そして『ザ・ホエール』でチャーリーは、エッセイの講師として大学生たちに、なんでもいいからとにかく自分の言葉でエッセイを書くことを希求する。
一連のエピソードを並べて言いたいのは、ここで語られているのは“精神の純潔性”の問題であるということだ。なにごとも“上手くやる”ことはいくらだってできる。でも、自分が思い描くものを形にするのはとても労力がいることで、私たち人間はその努力を避けてしまいがちだ。でも、真に誠実であるということは、そういうひたむきさの中にある。チャーリーがエリーのエッセイを読んで感動していたのは、“書き殴った”なかにエリーの誠実さを感じ取ったのだろうと、(編集者でもある)筆者は受け取った。