『THE LAST OF US』原作のクライマックスを徹底再現 ゲームの映像化は新たなステージへ

 先日発表された第95回アカデミー賞授賞式にペドロ・パスカルがプレゼンターとして登場した。アカデミー賞のプレゼンターといえば、ノミネート作や間もなく公開されるブロックバスターの出演者など、最も旬な“映画スター”の抜擢が慣例。パスカルは未だ映画での代表作がないものの、司会のジミー・キンメルから主演を務めたTVシリーズ『マンダロリアン』を引き合いにジョークにされていた。そんな彼が登壇したタイミングは、『THE LAST OF US』の最終回第9話の配信が始まる直前。そして配信開始を告げるかのようにオスカーの舞台から降りる彼を見て、チャンネルをHBO(日本ではU-NEXT)へと変えた人は少なくないはずだ。今やスターは映画ではなく、TVシリーズから生まれる時代。キンメルがネタにしていた『マンダロリアン』は3月1日から最新シーズン3の配信がスタートしており、パスカルは『THE LAST OF US』と合わせ、約半年間に渡って大ヒットTVシリーズ2本の主演を務めるというわけだ。

 『THE LAST OF US』最終回は第2話以来のアバンシークエンスから始まる。感染者に追われ、森の中を走る身重の女性の名前はアンナ(アシュレー・ジョンソン)。原作ゲームではマーリーン(マール・ダンドリッジ)のボイスメモでしか言及されない人物で、彼女こそがエリー(ベラ・ラムジー)の母親である。出産直前に感染者に襲われた彼女は、発症する前に自らへその緒を切ることでエリーの命を救う。これがエリーに菌への抗体を持たせるきっかけとなったのだ。原作ではエリーが免疫を持つ理由について明かされることはなく、ジョエル(ペドロ・パスカル)よりも優秀なプレイアブルキャラクターである彼女は(何せ折れることのない無限ナイフを持っている)“選ばれし子”として描かれている。クレイグ・メイジンとニール・ドラックマンは詳細な設定を与えることで、エリーを今を生きる子供たちに近づけた。自らの使命に自覚的なエリーは引き返そうと提案するジョエルに向かって言う「やっとここまで来た。これまでの全てをムダにはできない」「途中でやめたりしない。終わらせないと」。それは世界が荒廃するにまかせた私たち大人に対する、子供世代の真摯な願いにも思える。

 驚くことにシーズンフィナーレとなる第9話のランニングタイムは43分しかない。ストリーミングへ移行したTVシリーズがナラティブにあわせてエピソード毎の放送時間を変えるようになって久しいが、往々にして最終回は1時間前後になることが多く、シーズン最短は他に例が思いつかない。原作ゲームですら難易度Easyでプレイしても、最終チャプターとなる今回の“春編”はもっと時間がかかるだろう。本作においてゾンビが遠景に過ぎないと正確に解釈しているクレイグ・メイジンは、ソルトレイクシティのトンネルに感染者が巣食う場面など描くワケもなく、カメラワーク、劇伴、編集に至るまで原作のクライマックスを徹底再現し、『THE LAST OF US』の持つ普遍性を証明することに注力した(監督アリ・アッバシは原作にない巻頭にこそ個性を発揮)。

 唯一異なる要素を挙げるとすれば、CGでは表現しえないペドロ・パスカルの抑制された繊細な演技だ。人間性を取り戻しつつあるジョエルの姿に、私たちは傷ついた人の心を癒やすのが時ではなく、他者の存在であることを知る。だが、ようやく辿り着いたファイアフライの基地で、ジョエルはパンデミックを終わらせる治療薬の開発にはエリーの犠牲が必要だと告げられる。果たして世界の救済は我が子の命に優るのか? メイジンは第5話の時点でサム(キーヴォン・ウッダード)とヘンリー(ラマー・ジョンソン)を通じてこの主題の下絵を描き、キャスリーン(メラニー・リンスキー)にこんな台詞を言わせていた。「サムは死ぬ運命だったんでしょ? 子供は死んでるわ。しょっちゅうね。世界は彼を中心に回ってるの? 彼の価値は全てに勝る?」。ペドロ・パスカルは狂気や愛などという言葉では表現し得ないジョエルの衝動をただただ表情で見せるミニマルな名演を達成し、ゲーム原作の映像化を新たなステージへと導いている。

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