『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー ホリデースペシャル』で思い出す、彼らの愛おしさ

『GotG ホリデー・スペシャル』の価値

 12月も2週が過ぎ、本格的なクリスマスシーズンが到来した。ところで、あなたが“クリスマスの到来”を実感するタイミングはいつだろう。スターバックスのカップのデザインが変わったとき、街路樹のイルミネーションが点灯したのを見かけたとき、コンビニでマライア・キャリーが流れていたとき。はたまた、ディズニープラスでマーベル・スタジオの新作『マーベル・スタジオ スペシャル・プレゼンテーション:ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー ホリデー・スペシャル』(以下、『GotG ホリデー・スペシャル』)を観たときかもしれない。

マーベル・スタジオ スペシャル・プレゼンテーション:ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー ホリデー・スペシャル|日本語吹替版予告編|Disney+ (ディズニープラス)

 本作はわずか40分にまとめられた短編でありながら、2017年の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』以来の、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』単独作品である。時系列的には『ソー:ラブ&サンダー』(2022年)以降の物語だ。同作にもガーディアンズ・オブ・ギャラクシーのメンバーは登場しており、『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)のラストで一緒に旅をすることになったソーとコーグに別れを告げた。その後の仲間たちの様子を、「クリスマス」をテーマに映した『GotG ホリデー・スペシャル』。これまでのシリーズと同じく、ジェームズ・ガン監督が手がけた本作が描いたものについて考えたい。

※本稿には『マーベル・スタジオ スペシャル・プレゼンテーション:ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー ホリデー・スペシャル』のネタバレが記載されています。

“ホリデー・スペシャル” として描かれる意味

 そもそも、タイトルにもある「ホリデー・スペシャル」とは、日本では馴染みがないが欧米圏ではかなりポピュラーな、いわゆる“クリスマス特番”である。遡れば1962年に放送されたアニメーションミュージカル『Mr. Magoo's Christmas Carol(原題)』から作品として発表されてきたが、それ以前からペリー・コモやジェーン・ワイアット、フローレンス・ヘンダーソンなど有名なセレブリティが司会をするクリスマス特番は存在していた。それくらい長い歴史の中で、「ホリデー・スペシャル」は特に1960年代以降から“有名作品のクリスマス編”のような形で作られることが主流となる。今回の『GotG ホリデー・スペシャル』もそのパターンだが、それ以前にはあの“伝説的な”『スター・ウォーズ ホリデー・スペシャル』(1978年)をはじめ、ミッキーマウスやシュレック、スヌーピー、マペット、羊のショーンなどの人気シリーズキャラクターの「ホリデー・スペシャル」が制作されてきた。

映画『ひつじのショーン スペシャル クリスマスがやってきた!』予告編

 あちこちで作られているのに対し、興味深いことに「ホリデー・スペシャル」はほぼ一貫した共通のルールを持っている。それはフォーマット面においてほとんどがミュージカル、または音楽にフィーチャーした体裁であること。そしてテーマは“クリスマス・スピリット”を描くことだ。“クリスマス・スピリット”とはなんじゃらほい、という質問に簡潔に答えると、「喜びに溢れ、慈善的で、他者に親切に、寛大でいる精神」だ。主に『クリスマス・キャロル』でスクルージが3人の幽霊から学んだ教え……貧しい時も誰かと何かを分かち合い、お互いに助け合い、慈愛の心を忘れないようにしようということであり、まさに「“クリスマス・スピリット”とは何か」を語る本作は「ホリデー・スペシャル」で死ぬほど映像化されてきた。もちろん、「クリスマス」自体がキリスト教のイベントであるため根幹には宗教的なメッセージがあるが、現代ではホリデーシーズンになるとショッピングに旅行と、どこも混むし並ぶしで皆がイライラするから「ストレス感じても他人に当たらないようにお互い気をつけようね」くらいの精神になっている。

 さて、そこでこういった「ホリデー・スペシャル」をマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)が始めて制作するとなった場合、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の面々に白羽の矢が立ったことは非常に納得がいくのだ。銀河のミスフィッツで、みんな基本家族がいない(家族と問題があった)孤独な者たち。血こそ繋がっていない“家族”を物語の主役にさせた本作からは、ガン監督が“古き良き”家族団欒のイメージが強い「クリスマス」に対して、別のアプローチを取ろうとした意思を感じる。

第1作、第2作を自然に振り返られる内容に

 ソーたちと別れた後、ガーディアンズの一行は惑星ノーウェアにいた。しかし、ピーター・クイル(クリス・プラット)は依然としてガモーラ(ゾーイ・サルダナ)を亡くした悲しみから立ち直れない。そんな彼を見守る中、クラグリン(ショーン・ガン)はピーターが子供のとき、クリスマスをヨンドゥに禁止されたという話をマンティス(ポム・クレメンティエフ)やドラックス(デイヴ・バウティスタ)らに聞かせる。それを聞いた彼らは、ピーターに少しでも元気になってもらおうと、「クリスマス」をやろうということに。そこで起こるドタバタ騒ぎを捉えた本作だが、単純に「ホリデー・スペシャル」的なコメディ要因としてガーディアンズが借り出されたというより、「クリスマス」が彼らをしっかりと描くためのツールになっているのが興味深かった。

 フェーズ4では多くのキャラクターの“エンドゲーム後”が描かれてきたが、ガーディアンズの仲間がその後どんな精神状態でいるのかについて、これまで語られる機会はなかった。そして冷静に振り返ってみれば、彼ら……特にピーターが相当トラウマ的な経験をしていることがわかるのだ。だからこそ、ガーディアンズの物語を今一度このタイミングで描くことが必要だったように思える。そして満を持してのケヴィン・ベーコンの登場。それは『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』でピーターがいろんな人に彼の話をして、最終的に『フットルース』よろしく銀河をダンスバトルで救ったプロットを思い出させ、自然と第1作を振り返る装置になっている。加えて、冒頭からアニメーションで描かれるヨンドゥとの思い出は、自然と『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』での悲劇を思い起こさせる。「ホリデー・スペシャル」として作られている本作だが、こうしてみると実は「ガーディアンズのこれまでを振り返りスペシャル」的な、“彼らの物語”という側面をしっかり持っていることがわかるのだ。

 それなのに、落ち込んでいる誰かを元気づけたいという精神や、作品全体に漂うチアフルなムード、ヨンドゥにガモーラと“家族”を失ったピーターに、同じ父親(エゴ)を持つ妹(家族)ができるラストも、しっかり温かみのある「ホリデー・スペシャル」の定義に沿っているから、ガンの物語の構築のうまさを実感させられる。

I Don't Know What Christmas Is (But Christmastime Is Here) (From "The Guardians of the ...

 何より重要に思えたのは、本作における主人公マンティスとドラックスの二人が、“「クリスマス」が何か知らない”ことだ。ガンのチョイスしたOld 97’sの歌う「I Don’t Know What Christmas Is (But Christmastime is Here)」は、もともと「Here It Is Christmastime Time」という楽曲があったのに対し、ガンが本作のために歌詞を共同で書いたオリジナルソングとして同バンドが歌っている。サンタはマジやばいやつっぽいし、地球人のやる「クリスマス」が何なのか知らないがその季節がやってきた、という歌詞には「クリスマス」に対する様々な距離感が垣間見えて、優しく感じる。そしてマンティスもドラックスも、これまで私たち地球人が植え付けられてきた「クリスマス」というイメージを持たないからこそ、好き放題にやっていて、それも見ていて気持ちが良い。二人の視点を通して“未知の体験”として描くことで、現代的により広い視野で「クリスマス」を捉えることに成功したのではないだろうか。

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