『PICU』去った吉沢亮の心に突き刺さった言葉 2つの終末期から考える医師の役割
科長の植野(安田顕)に“不可欠な人材”と言わしめ、あの手厳しい救命医・綿貫(木村文乃)にも“ギリ一人前”だと認められた“しこちゃん先生”こと志子田(吉沢亮)がPICUを去ることをひっそりと静かに決めてしまう『PICU 小児集中治療室』(フジテレビ系)第9話。
多発転移してしまっていた母・南(大竹しのぶ)の膵臓癌は東京の名医をもってしても寛解できなかった。少しの希望的観測を持ってして全く異なる症例を半ば無理矢理持ち出してこじつけのように共通点を見出そうとし何とか助かる方法はないのかと詰め寄る志子田。それは母親自身のためなのか、それとも自分のためなのか。実際に大切な存在を看取らねばならない時が思いの外すぐそこまで近づいてきているとなれば、きっと誰しもが彼のようになるのだろう。あまりに残酷な現実を直視できず、何かしら動いていないと気が済まない。どうしてもっと早くに気づけなかったのか、もっと他にできることはあったのではないかー少しでも油断すると後悔と自己嫌悪に襲われてしまいそうになる。自分は母親のいないこの先などまだ受け入れられそうにもないのに、当の本人はそれを受け入れていることがたまらなく寂しいし納得できない。せめて自分だけは諦めてはいけないと、ジタバタに拍車がかかる。そして、自分がこんなにヤワで情けないからこそ、相手に先回りして気丈に振る舞わせてしまっているのだろうこともどこかでわかっているから申し訳ないし、自分のことが腹立たしく相手のこともどこか妬ましい。どれだけ言葉を重ねても埋まらぬこの距離がもどかしく受け入れ難い。
「幸せだね。幸せすぎてもったいないよ」
「もっと幸せにしてやるよ」
「もう十分だよ」
「俺はもっとしてやりたい。まだまだ全然できてない。だから頼むよ。俺を一人にしないでくれよ」
この志子田の無念ややるせなさ、拭いきれない後悔が周り回って、PICUに運び込まれてきた気管支喘息重積の紀來(阿部久令亜)の頑なだった心を解きほぐす。シングルファザーで仕事に家事に多忙な父親に迷惑をかけたくないと、喘息の発作を24時間我慢していた紀來に「(パパは)自分の知らないところで倒れて苦しい思いをしている方が悲しいと思うんだよ。ちゃんと話してくれていればこんなことにならなかったのにとか、もっと早く気づいてあげたかったとか、後悔することになるでしょ?(中略)紀來ちゃんがパパのこと大好きなら尚更ちゃんと言ってあげて」と諭し、彼女の心配を取り除いていた。まるで自分自身の後悔や巻き戻せない時間をなぞるように。
志子田にとって“最高のお母さん”で最愛の人・南は東京での親子旅行から帰って1週間もせずに息を引き取ったが、「病院じゃなくてあの家で武四郎のこと頭に焼き付けながら逝きたい。いつも通りに」「自分の死に方は自分で決めたい」という彼女の意向は叶えられたのではないだろうか。遺される側の気持ちももちろんあるものの、本人の意志を尊重し終末期を過ごせたことは何よりの幸いだったとも言える。