『君の名は。』はなぜ心に留まり続けるのか? “忘却”が呼び起こす強烈なシンパシー

『君の名は。』はなぜ心に留まり続けるのか?

 “忘却”は、さまざまな感情を人にもたらす。その中でも分かりやすい感情は、怯えだ。人は年を重ねるごとに忘却のスピードも増すが、その根本にあるのは、人が本質の面で持つ、死という未知の体験に対する恐怖である。

 記憶を失うこと、それはつまり喪失である。喪失という言葉に感じるものは人それぞれだが、恐怖や不安のほかにも、元より在ったものをなくしてしまうことに感傷を覚える人もいるだろう。

 そんな切なる感情を誘う“忘却”を、ストーリーテリングの一部として取り上げた作品は少なくない。10月28日に『金曜ロードショー』(日本テレビ系)で放送される新海誠監督作品『君の名は。』にも、少年少女の心と身体が入れ替わり、目覚めた時には入れ替わっていた時のことを忘れてしまう、という“忘却”の描写が盛り込まれている。

 このような作品が人気を博すのはなぜなのか。忘れる、ということを、受け手はどう感じ、どう己の感受性の前に差し出しているのか。

 おそらく、忘却そのものにある種、オカルティックな魅力が纏わりついているからなのではないかと考える。一度味わってしまえば戻れないような強烈なシンパシーを、忘却を扱った作品は包含しているのである。

 自分がその物語の主人公になっているかのような、どこか懐かしい感覚。忘却の末に遺されたものたちへの、愛おしさと寂しさ。心の深層にまではたらきかける振動、もしくは波紋に似た何かが、作品に触れ伝播していく。それは激しくも、荒くもない。ただ忘却そのものと同じように、いつの間にか感じ、心動かされているような“ゆれ”である。

 新海監督の作品に共通して感じるセンチメンタルな感情の粒子は、この“ゆれ”に共鳴してさらに強く、確かなものとして人々の心に留まり続ける。未知の現象を定点で観測する描写と、忘却がもたらす振動、そして新海監督が描き出す感情の機微は、三位一体となり均整なバランスを取り、『君の名は。』という作品をより強固なものにしているのだ。

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