『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』が描くのは『ゲーム・オブ・スローンズ』の再定義?

※本稿には『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』のネタバレを含みます。

 前回、本連載では第1話から第2話にかけて「シリーズ最長であろう半年間の時間が経過」と書いたが、第2話から第3話はなんと劇中で3年の時間が経っている。『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』は第3話を迎えてシリーズの性格がより明らかとなってきた。原作小説『炎と血』はターガリエン王朝時代を扱った歴史研究書のような体裁が取られており、ショーランナー兼監督のミゲル・サポチニク(先頃シリーズからの離脱が発表された)によれば、このシーズン1で約20年間の出来事が描かれるという。『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』は『ゲーム・オブ・スローンズ』が成し得たキャラクター主導のナラティヴとは異なり、製作陣が参考にしたというNetflixのTVシリーズ『ザ・クラウン』のような、主要な事件から時代を総括する歴史ドラマに近いことがわかる。では第二次大戦以降の英国王室を通じて現在を批評する『ザ・クラウン』に対し、架空の歴史劇である『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』は何を描くのか? 私たちの生きる現在(いま)とウェスタロスが地続きであること、そして『ゲーム・オブ・スローンズ』の再定義ではないだろうか?

 ちなみに製作陣はHBOの人気TVシリーズ『サクセッション』(『メディア王~華麗なる一族~』)も参考にしているという。こちらも巨大メディアコングロマリット創業一家による後継問題を描いた作品で、さすがにロイ家のような露悪的な人物は『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』にまだ出てこない。第3話で登場するラニスター家は相変わらず鼻持ちならないが、この時代の彼らはまだまだ可愛いものだ。

 踏み石諸島を支配する三頭市の首魁、“蟹餌作り”ことドラハールとの戦を独断で始めたコアリーズ・ヴェラリオン(スティーヴ・トゥーサント)とデイモン・ターガリエン(マット・スミス)は劣勢に立たされていた。デイモンの駆るドラゴン“カラクセス”が圧倒的な力を発揮するものの、敵は海岸線の岩肌に掘られた洞窟に籠城し、一向に攻め落とすことができない。膠着状態のまま戦は3年近くが過ぎようとしていた。

 そんな戦火からは程遠いキングズ・ランディングで、ヴィセーリス王(パディ・コンシダインとアリセント(エミリー・キャリー)の長男エイゴンの2度目の命名式が行われようとしている。アリセントのお腹には既に第二子が宿っており、王家の安泰はすなわちレイニラにとって玉座が脅かされることでもある。妻を失ったヴィセーリスと母を失ったレイニラ(ミリー・オールコック)という父娘の葛藤と対立は前回、一時的に歩み寄りを見せたかように思われたが、政略ではなく情でアリセントを娶った父をレイニラは許すことができない。この第3話で父娘は完全に断絶してしまったようにすら見える。国中の者たちが次期王をエイゴンと見なしており、「私は用済み」と頑ななレイニラの姿は痛々しい。ヴィセーリスも嫡男が生まれた今、レイニラの継承に矛盾を感じ始め、自らの決断は誤りだったのではという思いすら頭をもたげている。良かれと思って進めた縁談も、竜の如く気高い娘が首を縦にふるはずがない。望まぬ結婚に「私は名家に捧げる贈り物?」とレイニラは強く反発する。年頃の娘がわからず苦悩するヴィセーリスはどこにでもいる父親と変わりなく、善良ではあるが王としてあまりに凡愚だ(演じるパディ・コンシダインが素晴らしい)。

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