『ONE PIECE FILM RED』は“聴く映画” ネット黎明期のように崩壊する幻想
映画は2時間で観客を現実に戻すから良い
ウタワールドは、現実の辛いことは何もない世界だとウタは言う。
冒頭から、大海賊時代の到来で、多くの人が海賊に苦しめられていることが語られるが、『ONE PIECE』の世界は一般の人々にとって必ずしも実りのあるものではないらしい。
中盤以降、(ウタウタの実は眠ると能力が解除されてしまうため)1人眠らないためにネズキノコを食べ続けるウタがいる現実世界と、ウタワールドが対比的に示される。色彩鮮やかなウタワールドに対し、現実はくすんだ色彩で描写される。シャンクス登場時に、両者の世界を同ポジションのカットでつないで、その違いをわかりやすく提示している。
現実はくすんでいて辛い、仮想のウタワールドはどこも輝いていて楽しい。しかし、好きなものだけがある仮想の世界は、本当に素晴らしい場所だろうか。
それはインターネット黎明期のユートピア的な幻想に似ている。好きなものに瞬時にアクセスできるインターネットでは、社会のしがらみもない、国境も国際紛争もない、みなが幸せになっていくはずだと信じられていた時代があった。
しかし、2022年を生きる私たちはインターネットがユートピアからほど遠いものになったことをよく知っている。ネット空間に人が増えれば増えるほど、そこは現実と変わらなくなり、争いが絶えなくなった。
この映画の中で、ウタは7つの歌を披露する。新時代への希望を歌う「新時代」、自己肯定感に溢れた「私は最強」、自分に従わないルフィたちを追い詰めていく辺りで歌われる「逆光」では攻撃性が強くなり、民衆からも不満の声が上がり始める「ウタカタララバイ」あたりでは狂気をはらみ始め、「Tot Musica」で全てが崩壊していく。Adoはどの曲でも、異なる歌声の表情を聴かせてみせて、追い詰められていくウタの感情を見事に表現している。
このセットリストの流れは、ユートピア幻想が崩壊していく過程そのものだ。インターネットも希望から肯定感へと至り、不満が蓄積し今や崩壊寸前だ。
インターネットがそうならなかったように、ウタの作ろうとした「新時代」も、本当に自由な世界にはなりえない。空想の世界に永遠に逃げても、今度はそこが「現実」になる。誰もがインターネットを利用するようになった結果、そこがむしろ現実になったように。
映画という「空想」は、せいぜい約2時間で解放してくれるのが、筆者は素晴らしいと思う。遮音設計で外界(現実)から観客を切り離し、サラウンドの音で包み込み、映画の世界に引きずり込んだ後、また再び現実に放り出す。映画の最後に「ウタウタの実」の能力からルフィたちは解放されるが、それと同じように映画が終われば観客は現実に戻らざるを得ない。ここでも観客は本作の登場人物たちとリンクする。
現実に引き戻された観客は、ルフィたちと一緒に何を想うのか。クライマックスに歌われる「世界のつづき」とエンディング曲「風のゆくえ」は、新時代に向かうルフィたちと観客の背中をそっと押してくれるような曲調だ。
逃げることは悪いことではない、ウタがみんなを救おうとした気持ちも間違っていない。そういう気持ちが報われないこの世界を変えて、本当の意味で新時代を作ることができるのか、本作は静かに、噛み締めるようにそう問いかけるのだ。
■公開情報
『ONE PIECE FILM RED』
全国公開中
原作・総合プロデューサー:尾田栄一郎(集英社『週刊少年ジャンプ』連載)
監督:谷口悟朗
脚本:黒岩勉
音楽:中田ヤスタカ
キャラクターデザイン・総作画監督:佐藤雅将
声の出演:田中真弓、中井和哉、岡村明美、山口勝平、平田広明、大谷育江、山口由里子、矢尾一樹、チョー、宝亀克寿、名塚佳織、Ado、津田健次郎、池田秀一
主題歌:「新時代 (ウタ from ONE PIECE FILM RED)」Ado (ユニバーサル ミュージック)
配給:東映
©尾田栄一郎/2022「ワンピース」製作委員会
公式サイト:https://www.onepiece-film.jp