『鎌倉殿の13人』“北条家”の義時の物語が始まる 第1回と対になった第25回を読み解く
ただその時がひたひたと迫っていることを感じながら、張りつめるような緊張感とともに見つめていたのは、迫りくる死の予感に対し、必死で抗おうとしていた大泉洋演じる源頼朝だけでなく、テレビの前の視聴者もまた同じだろう。
時代性も相まって、最近は各回1人以上と言っていいほど数多の死が、しかもちょっとやそっとで忘れられないほど濃密に描かれるNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』6月26日放送回である第25回は、後日談として触れられたあき(尾碕真花)の病死を例外として、“まだ”誰も死んでいない回ではあるが、一人の、死を目前にした男の頭の中に、視聴者自身がうっかり入り込んでしまうかのような異例の描き方で、ひときわ印象深く「死」を描いた回だった。
死に抗うのではなく自ら死の方に駆けよっていった大姫(南沙良)の死とは対極に、「天に生かされ続けてきた男」頼朝は、天に見放されたことを悟りつつも、その運命に抗い続けた。その回は、彼の意志とは反対に、頼朝の人生を振り返る回となり、彼と親しい人との別れの回となり、また、全成(新納慎也)の出まかせの「死なないためにやっちゃいけないことリスト」を守って動こうとするもキャラの濃い登場人物たちに悉く邪魔され、うまくいかないことに笑わされる、彼の人となりが凝縮された、コミカルな回でもあった。そして何より、義時(小栗旬)と頼朝2人の関係性の総括、さらには『鎌倉殿の13人』というタイトルと主人公・北条義時がいよいよ真価を発揮する次のステージに進むための、これまで25回分の総括の回だったと言える。
優れた作品の物語の多くは、やがて始まりに戻る。三谷幸喜脚本による本作もまた同じ。第25回は、夢のエピソードといい、「天に生かされている」からこそ何かを為さなければならないと感じていた頼朝のエピソードといい、特に序盤の展開を思い起こさせる構造になっている。だが、構造は同じだが、方向性は逆。かつては全てプラスに向かっていたものが、今は全てマイナスに向かっている。そこに「命運が尽きた」男の残酷な悲喜劇が生まれる。
本作の初回は、女装した頼朝を背中に乗せた義時が馬で野を駆ける場面から始まった。「姫、振り落とされないように気を付けて」が記念すべき主人公の第一声。互いに「振り落とされないように」激動の日々を走ってきた2人の関係は、一方が「馬から落ちる」ことによって1つの区切りの時を迎えた。
頼朝が落馬する少し前、彼が言った言葉に対し、義時は「鎌倉殿は、昔から私にだけ大事なことを打ち明けてくださいます」と言った。それは、第2回で頼朝が義時に「お前だけには話しておく」と初めて本音を吐露した時に繋がる。頼朝の「表だって口にする言葉は建前にすぎず、極限られた人物にのみ本心を打ち明ける」という性格によって、初対面の頼朝に翻弄され続けた義時が初めて彼の本心を理解するに至った出来事であるとともに、2人の心が強く結びついた最初の出来事だ。
その時、頼朝が言ったのは、「いずれわしは挙兵する。都に攻めのぼり、憎き清盛の首をとり、この世を正す。法皇をお支えし、この世をあるべき姿に戻す」という決意。実際は清盛(松平健)の首はとれなかったし、後白河法皇(西田敏行)には翻弄されたが、平家を倒し、「日本を平らげた」のだから、彼がやり遂げたことではある。一方で、第25回で彼が義時に言った「人の命は定められたもの。抗ってどうする。甘んじて受け入れよう」という言葉もまた、これからの彼が進むべき道を示したもの。第23回で「わしが為すべきことはもうこの世に残っていないのか」と寂しそうに言う頼朝の姿を見ていた義時は、その時わかったのではないか。「近々頼家(金子大地)に鎌倉殿を継がせて大御所となる」という夢は建前に過ぎず、彼は自らの眼前に迫る死をようやく受け入れたのだということを。