『ちむどんどん』から聞こえる“荒ぶる声” 自分の責任で生きていく、ハードボイルドな世界

『ちむどんどん』から聞こえる“荒ぶる声”

 これまで生活に様々な我慢を強いられてきた暢子に一度くらい楽しく晴れやかな思い出を作ってあげたい良子の気持ちもわかる。気になるのは、では良子にはそういう経験はあるのだろうか。賢秀は無理して働くことを拒絶しているし、歌子は病弱で労働を若干、免除されているだろうから、このふたりがたまには晴れやかなことをしたいと言い出すことはおそらくないとして(ストレスはあるにしても)、良子はどうだったのか。なぜ良子は忍耐し、暢子は東京に行きたいと強く主張できるのか。それがなんだか不思議に思える。だが、そういう感覚もひとそれぞれである。

 第24回で下地先生(片桐はいり)が「感じるままに生きなさい」「どんな歌でもいい。あなたがそのとき歌いたい歌でいい」「聴く人がたったひとりでも 聴いているのが森や虫たちだけだったとしても それがあなたの人生」と言っていた。自分の立場を気にすることなく、素直に思ったことをやることの真髄が『ちむどんどん』にはあるように感じる。

 良子は忍耐を選び、暢子は東京に行きたいと主張する。優子は子どもたちのやりたいことを認める。それだけのシンプルなことなのだ。自分が何かしたことで誰かが犠牲になったり不利益を被ったりしないだろうかと考えて行動することをやめてしまうことがあるのは、それぞれが不利益を被らないようにできるだけ公正であろうという暗黙のルールがあるからだ。とはいえ、ルールは指針ではあるが、絶対ではない。ときにはルールを破って自分の思いどおりにすることがあってもいいのではないか。『ちむどんどん』からそんな荒ぶる声が聞こえてくるような気がする。どこか子ども向けの物語のように感じるのは、未分化の自由さみたいなものを根本に持っているからではないだろうか。

 正男(秋元龍太朗)が暢子を異性として好きになる感情を抑え、暢子は暢子のままでいいと彼女の父と同じことを言うのも、性別に人間が分かれて行く前の子ども時代の自由さみたいなものがあるからで(異性として自分が彼女に見られていない負け惜しみもあるとは思うが)、『ちむどんどん』に子ども向けのアニメの雰囲気を感じるのも未分化の可能性にあるような気がしている。

 家族以外の誰にも褒められずむしろ馬鹿にされてきた賢秀が好意的な他人にお金を預け、でもその失敗を東京でボクサーになって取り返す。こんなことは実際ではなかなかない。借金に借金を重ねどん底に落ちる人々があとを絶たないのが現実である。それでも優子が言うように自分が決めたことなら他人を恨むことはなく、全部自分で引き受けて生きていく。なんてかっこいい生き方であろうか。でも、甘い言葉で騙す者も当人の意思でやっているからと認め、騙されたことも自分の責任と引き受ける世界はあまりにもハードボイルド過ぎる。

■放送情報
連続テレビ小説『ちむどんどん』
総合:午前8:00〜8:15、(再放送)12:45〜13:00
BSプレミアム・BS4K:7:30〜7:45、(再放送)11:00 〜11:15
※土曜は1週間を振り返り
主演:黒島結菜
作:羽原大介
語り:ジョン・カビラ
沖縄ことば指導:藤木勇人
フードコーディネート:吉岡秀治、吉岡知子
制作統括:小林大児、藤並英樹
プロデューサー:松田恭典
展開プロデューサー:川口俊介
演出:木村隆文、松園武大、中野亮平ほか
写真提供=NHK

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