『ちむどんどん』から聞こえる“荒ぶる声” 自分の責任で生きていく、ハードボイルドな世界
“朝ドラ”こと連続テレビ小説『ちむどんどん』(NHK総合)は第5週「フーチャンプルーの涙」でいよいよ暢子(黒島結菜)が東京に旅立った。
ヒロインの旅立ちまでに紆余曲折のドラマがあった。貧しい生活を続けている比嘉家。長男の重責は感じながら何もできずにいた賢秀(竜星涼)はサンセットバーガーで知り合った実業家・我那覇(田久保宗稔)の甘い話に騙され960ドルを持ち逃げされてしまう。
産業まつりのヤング大会で優勝して東京で西洋料理の料理人になるとやりたいことをみつけた暢子は、兄の投資がうまくいったら東京に行けると期待していたが、それどころではなくなる。むしろ地元で働いて借金返済を強いられる。
あまりにも情弱で浅はかな賢秀、子どもには好きなことをさせたいという信条とはいえ長男に甘過ぎるうえ同じく情弱な優子(仲間由紀恵)、突然東京に行くと決めたら一直線、家庭の状況を顧みず、感情が抑えられない暢子、ただただ借金返済のことばかりうるさく言い続ける大叔父・賢吉(石丸謙二郎)……。誰もの感情が不安定で、それぞれの楽器が調子はずれな音を出し、まったく調和しない。
善悪がはっきりしていたり、各々の役割が適切だったりと、世界観にいわゆる調和を求める者には『ちむどんどん』はちょっとつらいところがあるが、こういうツンツンと四方八方に突き出した長さもばらばらの雑草のようなムードに楽しみや共感を感じ愛着をもつ者もなかにはいる。この感じで思い出した朝ドラが一作ある。『半分、青い。』(2018年度前期)だ。主人公・鈴愛(永野芽郁)の奔放な生き方に激しい賛否両論が渦巻いた。
鈴愛は耳が聞こえないことで情緒不安定になることがあって、時々、家族や友人や知人とぶつかってしまう。耳が聴こえる者たちにはどうしてもわからない彼女の身体の状況や感情。
いや、耳が聴こえる者同士だってそれぞれ違いがあって完璧にわかるあえることなどない。人と人はどんなに思いやっていても決して完璧にお互いを理解することはできないのだ。それでも主人公は自分でいることを諦めない。どれだけ心が傷だらけになってでも自分のなかから湧き上がる感情を押さえつけることなく、外へ外へと出していく。そのむき出しのいささか危険な感情を、鈴愛は漫画や育児や発明などによってじょじょに形を変えて、他者に提示するやり方を覚えていく。
例えば、『奇跡の人』で視力と聴力のないヘレンがサリバン先生の導きによって言葉と概念と発語することを学び、制御できない野性的な感情を整理することができるようになっていくようなことを『半分、青い。』にも感じたが、この人間の文明以前の混沌とした存在が『ちむどんどん』にもあるように感じる。
比嘉家の人々は皆、不器用で、平均値あるいは一般的に正しいとか良いとかとされることをしない、独特の言動をしている。教師になった良子(川口春奈)は給料を前借りしてそれで暢子を東京に行かせようとする。好きな服を買うことも我慢しているにもかかわらず、暢子を東京に行かせようとするのだ。『ちむどんどん』的に言ったら「しんけん?」「ありえん」であろう。