のん、表現者としての不屈の抵抗 監督作『Ribbon』に込めた切実な思い
のん監督・主演の最新作『Ribbon』は、パンデミックによる人間活動の停止そのものを直截的に描いた映画である。コロナ禍が始まったのは、のんのマルチアーティストとしての快進撃がちょうど始まった時だった。彼女は自身が企画・主催した音楽フェスに中止の決断をした。彼女が初監督した映画『おちをつけなんせ』がYouTube Originalsの企画として2019年10月に発表されたばかりだった。
『おちをつけなんせ』は監督・主演ばかりか、脚本・衣裳・美術・撮影・照明・音楽・編集まで手がけるという、恐るべきマルチぶりを発揮した作品である。そんな矢先の活動停止。自宅のベッドで悶々と過ごす日々が続いた。そしてそのベッドでの鬱屈そのものがやがて、彼女に霊感を与えることになる。そこに筆者は、根っからの創造者の気質を見出すほかはない。(荻野洋一)
「自分は表現したい人だったんだ、というのを改めて自覚しました」
のん:自粛期間中にいろいろ調べ物をしていて、ある美大生についての記事を読んで衝撃を受けました。私はもともと美術大学への憧れがすごくあって。その方の卒業制作展は中止となって、創作に全力を投入した4年という時間が無駄になり、「自分の作品がゴミに見えてしまった」と。この悔しさ、どこにもぶつけられない怒りの感情を丸ごと映画にできないかと、脚本を書き始めました。映画の現場に役者として入っているだけだと、作品への共感を役柄の解釈を通してだけ届ける形となりますが、作り手になった途端にぜんぜん違う。そのぶん大変というか、監督になって初めて気づいたのは、現場でまったく眠くならないこと(笑)。アドレナリンがずっと分泌されていて。俳優として作品に入った時は「なんで監督は一人だけ元気なの? みんな疲れているのに」みたいに感じていたのですが、「ああ、こういうことなのか」と。世の監督たちはみんなの疲れた顔なんか目に入らなくて、「これを撮りたいんだ」ということしか考えられなくなると実感しました。そしてそれがまた楽しいんです(笑)。
――『Ribbon』では「頑張ったことが無駄に思えた」とか「自分がこんなに見てもらいたかったんだということを実感した」というセリフに非常に実感がこもっていました。これはご自身の叫びとも繋がっていますか?
のん:コロナ禍で芸術やエンタメがどんどん不要不急の中に入れられていって、第1波の後くらいからそういう論議が過熱していくのを目の当たりにすると、それまで自分はその世界で生きてきたから、自分自身を否定されたように気持ちになって、反発心が湧きましたね。でも、本当に無理な状況というのもあって。やっぱり命の方が大事というのは揺るがなくて、生死が関わっていることだから、制限されることに抗いづらいという気持ちもありました。その中でもこんなに切実な気持ちで自分は作りたい人だったんだ、表現したい人だったんだ、というのを改めて自覚しました。
――監督第1作『おちをつけなんせ』では蔵下穂波さん、今回の『Ribbon』では山下リオさんが、のんさん演じる主人公の親友役として出演されています。おふたりともNHK連続テレビ小説で共演経験のある方で、こうした共同作業にこだわりがあるのでしょうか?
のん:自分のやりたいことを実現していく上で信頼する人の存在はとても大事ですし、「この人がこの役をやってくれたら絶対に面白い」という確信は、映画を完成させる上ですごく重要だと思います。脚本を書いている時に(親友の)平井の役はすでに(山下)リオさんがイメージにありました。私の中ではリオさんにはすごく格好いいイメージがあって、と同時に心の中がちょっと複雑で激しさも持っているみたいな。そういうところに魅力を感じていたので、平井役をやってくれたらいいなと思いながら脚本を書きましたね。リオさんもコロナ禍でかなり苦しみを感じていて、オファーした時にそういう傷口をまた開けちゃうのかなと思ったんですけど、彼女は「すごくうれしい」と言ってくれて、それまで踏み込んだことのないような感情を共有しつつ、撮影を一緒に乗り切ったというのはあります。平井という役に敏感に繊細に挑んでくれて、信頼が強固なものになったし、同志って感覚も生まれました。