深津絵里が見せた“母”への変化 『カムカム』るい編がたどり着いた母の強さと静かな和解

『カムカム』深津絵里のるい編を総括

 1925年のラジオ放送開始とともに生まれた安子(上白石萌音)、第二次世界大戦が激化した1944年に生まれたるい(深津絵里)。母娘の物語を紡いできた『カムカムエヴリバディ』(NHK総合)が、いよいよクライマックスに突入した。第37回選抜高等学校野球大会で岡山東商が県初の優勝を決めた1965年にひなた(新津ちせ/川栄李奈)が誕生し、三代目ヒロインへとバトンタッチした。ここで、二代目ヒロイン・大月るいの半生を振り返ってみたい。

 思い返せば「るい編」は「失ったものを取り戻す物語」ではなかっただろうか。父・稔(松村北斗)とは一度も顔を合わさないまま戦争で死別し、母・安子とは壮絶な離別を遂げたるい。「家族」の温かみを知らず、心に傷を抱えたまま少女時代を過ごし、17歳で独り岡山から大阪に出た。錠一郎(オダギリジョー)と出会い、恋に落ちるが、結婚目前でジョーがトランペットを吹けなくなる病にかかり、暗闇に堕ちてしまう。

カムカムエヴリバディ

 しかし、そこで生まれて初めてるいは、「絶対に失いたくないものを、私が命がけで守る」と決意したのではないだろうか。自ら命を絶とうとする錠一郎を海の中で必死に抱きとめ、「怖がらんでええ。私が守る。あなたと2人でひなたの道を歩いていきたい」と誓ったあのシーンは、か細く寂しい女の子が、たくましくたおやかな女性へと脱皮した瞬間でもあった。人は、守るものができたときに強くなれる。誰かに愛を与えることで、自分の心をも愛で満たすことができる。「るい編」における彼女の成長はそこにあったように思う。

 第14週「1965-1976」で小学校4年生になったひなた。明るく元気いっぱいのひなたが笑って、走って、チャンバラをしている姿を見るだけで、苛烈な戦中・戦後をくぐりぬけてきた安子とるい、そして戦災孤児として生き延びた錠一郎の人生を思い、胸がいっぱいになる。このドラマを観ていると、今日の私たちの生活は、先達が苦労や悲しみを必死で乗り越えた上に成り立っているのだと、改めて思わされる。

 家族3人が笑いながら仲良く花火をするシーンでは、2人の恋が走り出したあの地蔵祭の夜が思い出される。花火に興じる家族連れを、孤独な瞳で見やっていた錠一郎と、それを同じ思いで見つめていたるい。戦争で家族を失い、子どもらしい日常を過ごすことを許されなかった2人が心を寄せあい、結ばれて、今、愛娘とともに目を細めて花火を楽しんでいる。

 こうしたささやかな幸せの織り重なりによって、るいが少女時代に負った傷が少しずつ癒えていくのが画面越しに伝わってきた。説明的なモノローグやナレーションがなくとも、るいが母としてひなたに向き合うとき、いつも安子のことを思い出しているのがわかる。年月を経るごとに、るいの顔から少しずつ陰りが消えていき、しだいに穏やかさと柔らかさが宿っていく。人の心は「何かが急変して劇的に変わる」というものではない。時間を重ねて少しずつ、静かに変わっていくものだ。その様を微細にわたって演じ切った深津絵里の役者魂に、心から拍手を送りたい。

 錠一郎という最愛の伴侶からの精神的サポートも大きかっただろう。京都に移ってるいが回転焼き屋を始めたいと言ったとき、2人が交わした言葉に、その関係性のすべてが詰まっていた。

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