社会の動きに重なる、3人のスパイダーマンの変遷 MCU版は“失っていく物語”に
※本稿は『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』のネタバレを含みます。
街も、人も、ヒーローも、時代とともに変わっていく。2002年の『スパイダーマン』から20年後に日本公開された『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』を観て思ったことだ。それぞれの時代を駆け巡ったスパイダーマン3人がスクリーンで一堂に会する様子に胸がアツくなりつつも、やはり感じるのは彼らが“同じキャラクター”でありながらも、確かに “違う”ことである。トビー・マグワイア版ピーターは大人として成熟した落ち着きがあり、アンドリュー・ガーフィールド版は相変わらずお喋りな陽キャで、トム・ホランド版ピーターは最も年相応な様子。ただ、個々の違いは決してそういった性格の機微に留まらない。それぞれのスパイダーマンが生まれた社会の違いというのもまた、大きくそこに影響を与えているのではないだろうか。
景気後退と失業率の高さが特徴的だった2000年代前半の『スパイダーマン』
サム・ライミ版『スパイダーマン』の1作目でやはり印象的なのは、ピーター・パーカー(トビー・マグワイア)を取り巻く環境だ。彼はベンおじさん(クリフ・ロバートソン)とメイおばさん(ローズマリー・ハリス)と共に、クイーンズに住んでいる。このエリアはニューヨークの中でも当時、家賃が安く労働者階級向けの住宅が多くならんでいた。ピーターの住む家も、日本的な感覚だと一見普通の良い家に見えるが、同じ作りの家が並ぶ、比較的に低賃金所得者向けのサバービアの一角にすぎない。
そして本作の劇中には、“お金を求める”キャラクターが多く登場する。荒れた父親と暮らすMJ(キルスティン・ダンスト)は、家庭状況の反動かお金持ちの男性とばかり付き合い、ピーター自身でさえ(そんなMJを振り向かせるためではあったものの)賞金をかけた戦いに出場している。そして、そこに現れる金銭的の強盗……。誰もが生活に余裕がない、そんな空気感が漂っていた。しかし本作の監督にライミが起用され、制作が本格的にスタートした2000年から公開までの2年間、アメリカに何があったのか振り返ってみると、劇中に漂う困窮した雰囲気はもっともである。
もともと2000年に、IT分野が非IT分野の経済成長率に対して、在庫投資や設備投資の鈍化を理由に減少……つまりIT投資ブームの終わりを迎えたことによりITバブルが崩壊していた。しかし、IT分野は元からさらなる需要を予測していたため、これを受けて急遽過剰な在庫の整理や雇用の調整(リストラ)を強いられる。それらは、もちろん一般家庭に影響を与えた。そして景気悪化を決定づけたのが、2001年に起きた同時多発テロ。ITバブル崩壊によって生まれた不況は、2002年の『スパイダーマン』公開年頃から回復傾向に向かうものの、制作期間の社会的なムードが作品の中のあらゆる箇所で垣間見えるのだ。そういった意味でも、スパイダーマンというヒーローは当時の現実社会でも求められた“希望”なのである。
景気回復とテクノロジー進化が前面に出た2010年代の『アメイジング・スパイダーマン』
2012年に1作目、2014年に2作目が公開された『アメイジング・スパイダーマン』で印象的なのは、ピーター(アンドリュー・ガーフィールド)を含む登場人物が“明るい”ことである。2008年に起きたリーマンショック以降、2009年にバラク・オバマ大統領による景気刺激策によってゆるやかに経済は回復していく。しかし、依然として雇用問題などを抱えていた2010年代前半。そんな社会背景の中で生まれた『アメスパ』1作目は、やはり主要キャラクターの“エネルギッシュ”さが印象的だった。
ピーターはよく喋るし、よく動くし快活で、グウェン・ステイシー(エマ・ストーン)も救われるのを待つヒロインではなく、積極的に主人公に協力し、時には危険な現場に赴いて敵と対峙する力強さを発揮した。そして何より、1作目のクライマックスで市民がスパイダーマンをオズコープ社に最短距離で行けるよう市民が協力するシーン。続編『アメイジング・スパイダーマン2』で、ピーターがハリー(デイン・デハーン)に対してスパイダーマンという存在を「人々にいつか世の中が良くなるよう希望を与えている」と説明していたが、まさに不況の影響をもろに食らった労働者たちが一丸となって、彼らのヒーローを支えるという構図は、市民が「スパイダーマン」という未来に希望を託し、信じながら頑張る意志を表しているのだ。今はまだ辛いけど、一緒に肩を取り合って頑張っていこう、と。こういった描写からも、社会や街、人々の動きと「スパイダーマン」というヒーローの描かれ方の繋がりを感じる。
また、“エネルギッシュ”といえば興味深いことに、ライミ版『スパイダーマン』シリーズに登場する悪党が先述の通り、銀行強盗など「金銭の強奪」をしていたのに対し(あのドック・オク(アルフレッド・モリーナ)でさえ、研究資金のために銀行強盗をしている)、『アメスパ』シリーズは通じて「エネルギーの強奪」をテーマにしているのだ。特にそれが如実に表れているのが続編で、映画冒頭で描かれたアレクセイ・ツシェビッチ(ポール・ジアマッティ)の強盗も目的がプルトニウムだったり、のちのエレクトロ(ジェイミー・フォックス)も電気というエネルギー源を奪って自身の力に変えたり。1作目のヴィラン、コナーズ博士(リス・エヴァンス)も新薬によって力を得ていた。
ハリー・オズボーンが不治の病をスパイダーマンの血液で治そうとするのも含めて、「新薬の開発による人類の進化」という目的も介在している。ヴィランたちの目的が“今”という「現状」を一時的に解決する金銭ではなく、明らかに「未来」に向けられたテクノロジーであることも、景気回復の兆候やIT技術の発展といった現実社会が反映されているように思える。