綿矢りさ、『アイム・ユア・マン』で想像する未来の形 技術は孤独を救ってくれるのか?
1月14日より公開となった映画『アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド』。本作は、第94回アカデミー賞国際長編映画賞・ドイツ代表にも選出されたロマンティック・アンドロイドムービー。ベルリンのペルガモン博物館で、楔形文字の研究に没頭する学者アルマが、全ドイツ人女性の恋愛データ及び、アルマの性格とニーズに完璧に応えられるようプログラムされた高性能AIアンドロイド・トムと出会い、愛とは何かを見つめ直していく。
今回、リアルサウンド映画部では、本作で描かれるアルマの主人公像にも通底する女性ならではの悩みをつぶさに観察してきた小説家・綿矢りさにインタビュー。SF的設定にとどまらない作品の哲学的メッセージ、孤独に悩む主人公への共感からアンドロイドとの共存の未来まで語ってもらった。
「誰かと一緒に生きていくこと」の難しさ
――綿矢さんは本作『アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド』を、どのようにご覧になりましたか?
綿矢りさ(以下、綿矢):ネットでこの映画のことを初めて知って、「どんな映画なんだろう?」と気にはなっていたんです。設定だけ読んでいて、すっかりアメリカの映画だと思っていて……。「アンドロイドと人間の恋」ということで、そこからいろいろ夢が広がるような、結構派手な話なのかなと(笑)。実際観てみたらドイツの映画でしたね。主人公の女性(アルマ/マレン・エッゲルト)がすごく真面目な考古学者の女性じゃないですか。そもそも最初から、アンドロイド(トム/ダン・スティーヴンス)を恋人にすることに対して、ちょっと抵抗があるタイプの女性で、その設定がまず、意外でした。
――なるほど。
綿矢:彼女は、自分がやっている研究の資金的な援助を受ける代わりに、「理想の伴侶」の実証実験に参加することを承諾するというあらすじですよね。いざ自分用のアンドロイドができてしまうと、もう捨てられなくなるというか、自分のために作られたものだから、返品しても他の用途には使えないじゃないですか(笑)。大変なものをができたという感じが、途中から漂ってきたなと。後半からは、かなり「愛情」という概念自体に対して深く考え始める内容で、想像していたよりも、ずっと深遠な映画でした。
――とはいえ、要所要所にはコメディ的な演出もあります。
綿矢:そうですね。確かにちょっと笑えるような面白い場面も多かったけれど、取り組んでいるテーマ自体は、すごく真面目な感じがしたし、特にラストのほうは、「相手の気持ちがあってこその恋愛」と悟りながらも、彼を手放すことができない気持も芽生えてくる。自分の思い通りには進まないのが、人と人との関係だとはわかっているんだけど、やっぱり彼がいるほうが嬉しいというその矛盾がすごくリアルでしたね。
――ロボット云々ではなく、誰かと一緒に生きていくこと自体を問いかけるという。
綿矢:そうですね。だから、ちょっと不思議な感じの映画ですよね。相手はアンドロイドだけど、ケンカをして家を出たり、お互いのことを探したりとか、恋人同士が踏む過程を、彼女たちも踏んでいる。機械相手なのに、感情的になってしまったりするシーンを経て、彼女の心の中ではいろいろ変わってくるけれど、相手はアンドロイドなので、そのプログラミング自体は変わらない。
――確かに。
綿矢:あと、主人公がいちばん初めに感じていたような、アンドロイドをあてがわれた時のちょっとみじめな気分というか、「こんなふうに私のニーズに応えれば、私の孤独を癒せると思っているんでしょ」という感覚もすごくリアルでした。アンドロイドと触れ合っていくうちに、なくてはならないものになっていく過程も違和感なく観ることができましたし、すごく丁寧に気持ちの変遷が描かれている映画という印象です。あと、映画を観ながら、カーナビが初めて出てきたときのことを、ちょっと思い出したりして(笑)。
――どういうことでしょう(笑)。
綿矢:カーナビが最初に出てきた頃って、なんかちょっと命令されている感じがするとか、カーナビが指示するのと違う道を選んだら、ちょっとカーナビが怒っているような気がしないですか(笑)? 最近だと、アレクサが家でしゃべったりすると、息子が「アレクサが怒った!」とか言って怖がったりしていて(笑)。そうやって、感情があるはずのないものの中に勝手に感情を見出して、ちょっと罪悪感を持ったりするのって、何なんやろうと……。
――本作の中にも、そんなシーンがありました。トムのことをロボット扱いする人に、アルマがちょっと怒ったり。
綿矢:ありましたね。生きていないものに対しても、人の形に近づけば近づくほど、罪悪感を持つものなのかなと考えたりしました。機械だから何も感じないし、何も思ってないというのが、なんとなく信じられないんですよね(笑)。やっぱりアレクサには、聞き取りやすい声で話さないといけないのかなって思ったり(笑)。
――今だとより感じることかもしれないです。
綿矢:そうですね。多分この映画も昔に観ていたら、「アンドロイドやって言っても、演じているのは生身の人間やし、こんなものできるわけない」と思ったかもしれないけれど、技術が発展した今だと本作で描かれるシーンもリアルに想像できますよね。
――特に日本人は、そういう意識が強いのかもしれないですよね。物に対して、物以上の意味を見出す国民性というか。
綿矢:そうですね。ロボットの気持ちまで察していたら、世話ないですけれど(笑)。そんなことをしていたら、疲れちゃいますよね。ただ、アレクサとかやったら、そのうち慣れるけれど、この映画のトムみたいに人型のものに対して気をつかわずにいるのも、なんか倫理観に反するような感じがしますよね。だから、この設定から未来への夢が広がるというより、これでいいのかと自問自答する方向に突き進む繊細でシリアスな印象を受けました。
――そう、ダン・スティーヴンス演じる「トム」は、アンドロイドという設定ですが、お腹をパカッと開けたら回線が詰まっているみたいなベタな描写は出てきません。
綿矢:確かにそうですね。あえてなのかわからないですけど、アンドロイドの工場みたいなものも出てこないじゃないですか。それこそ、昔の漫画とかだったら、家に大きい段ボールが届いて、その中からアンドロイドが出てきて、スイッチを入れたら動き出すみたいなシーンがあったような気がするけれど、この映画にはそういうシーンがない。そもそも試験段階という設定じゃないですか。これが完全に製品化されていて、他の人も使っている時代だったら、また感じるところが違うのかもしれないですね。
――ちなみに、綿矢さんのところに「理想の伴侶」となるアンドロイドがやってきたら、どうしますか?
綿矢:それもちょっと考えました(笑)。恋人はともかくとして、子どもバージョンがあったら、また事情が違うのかもしれないなとか。ただ、そういうものが欲しいという気持ちがあっても、その気持ちを示すのは、自分はまだどこか怖いというか抵抗がありますね。