『ボス・ベイビー』は“考えずに感じる”映画? 子供の視点と感情に寄り添う奇作的な魅力

『ボス・ベイビー』は“考えずに感じる”?

 ……だとしたら、本当にティムは赤ちゃんを連れてラスベガスに行ったのだろうか。CAさんとも会話をしていたことにより、ティムだけでなくボス・ベイビーもそこにいたことは証明されている。え? 二人で本当にハマー乗ってバチェロレッテパーティーに参加したの? お姉さんたちは親がいない7歳の少年を乗せて顔中にキスをしただけでなく、ロングアイランドアイスティーまで持たせたの? というか、ティムが空港で何時間も一人座っているシーンがあるけど、周りの大人はなんで声かけないの!? そして何より、赤ん坊の存在が確実なら、物語の終盤でボス・ベイビーが“いなくなる”のはどういうこと……?

 「お前なんか生まれなければよかった」と、毒づいたこともあったティムが、ボス・ベイビーの不在を通してようやくラストに「愛は奪い合うものではなく、自らが与えるもの」だと気付き、彼の帰還を願う。それを喜んだボス・ベイビーは、今度は正式に、まるで“生まれ変わりのように”テンプルトン家に赤ん坊としてやってくる。まさか、妊娠中のお母さんに「兄弟はいらない」とティムが言ったあと、お母さんが流産してしまっていたのだとしたら。両親からの愛情を奪われないために「いらない」と言った自分のせいか、と抱いた罪悪感が「もし赤ちゃんがうちに来ていたら」という妄想につながっていたとしたら。ボス・ベイビーというティムの妄想の産物が“愛の分配”にこだわっていたことにも、納得できる部分がある。……え、何の話? 

 ここに、先に話したアニメーション映画を捉える上での難しさが顔を覗かせる。子供向けなのか、大人向けなのか問題。子供向けを装った大人向け作品に慣れすぎてしまったせいで、何事も意味を見出そうとするような、深読み癖がついてしまった。だから『ボス・ベイビー』が難しくなる。現実と妄想の境目が曖昧に描かれているからこそ、少なからず混乱してしまう映画ではある。しかし、思い出さなければいけないのは、子供向けアニメーション映画は“なんでもあり”なこと。そこで求められるものこそ“想像力”と“子供の視点”である。正直、もし私が7歳でこの映画を観ていたら、上記延々と悶々としていた問題なんて一切気にならないし、むしろ親の愛情を家族の新参者(兄弟など)に奪われてしまうのではないか、という子供ながらの恐怖感に共感できる部分は多いと思う。あと、意味のないカオスなシーンは単純に観ていて楽しい。そういった意味で、本作は正統派子供向けアニメーション映画だ。もちろん、大人向けのジョークがいくつもあるし、セス・ローゲンが製作に携わっていそうなハイな雰囲気もある。それでも、そういう大人がわかること以上に子供の方が楽しめる感覚を大事にし、そこに寄り添っているのが本作の魅力なのではないだろうか。

 「考えるな、感じろ」、ブルース・リーも言っていた。作られる映画すべてが意味のわかるものだったら、それこそつまらないだろう。意味がわからないことを楽しむこと、それを思い出させてくれるのも『ボス・ベイビー』のようなクレイジーな映画の良さかもしれない。

 何より、ティムとボス・ベイビーが再会した後からラストにかけての感動的な流れが涙腺を刺激するし、前半にごちゃごちゃ考えていたことを忘れさせてくれるのが良い。愛の有限性を否定するという、子供も大人も一抹の不安を抱く問題に対するメッセージが優しいし、大人になったティムが自分の娘にこの物語を読み聞かせるのも、“叔父さん”が登場するのも粋だ。ティムの娘に妹ができるらしい。そうしてラストカットで映された赤ん坊はスーツを着ていて……えっ、ボス・ベイビー? ティム個人の妄想の産物ではなく、やはりボス・ベイビーは実在した……? うっ、頭が。

■放送情報
『ボス・ベイビー』
日本テレビ系にて、12月17日(金)21:00~22:54放送
※本編ノーカット、地上波初放送
声の出演:ムロツヨシ、芳根京子、宮野真守、乙葉、石田明(NON STYLE)、山寺宏一
監督:トム・マクグラス
製作:ラムジー・アン・ナイトー
脚本:マイケル・マッカラーズ
音楽:ハンス・ジマーandスティーヴ・マッツァーロ
(c)2021 Dreamworks Animation LLC. ALL RIGHTS RESERVED

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