日米ホラー映画はどちらが怖いのか “刹那的スリル”と“持続可能な恐怖”

怨念をハリウッドリメイク化する難しさ

 日本のホラーの恐ろしさを書く上で取り上げた映画たちは、ハリウッドでリメイクされている。2000年代のジャパニーズホラーブームにのって、どれも成功した部類に入るが、「怨念」という概念がハリウッドで理解されたかどうかは定かではない。

 『呪怨』が『The Grudge(原題)』(邦題:『THE JUON/呪怨』)というタイトルでリメイクされたが、grudgeという単語には作品で描かれているような怨みの意味はない。そもそも日本のホラー映画に一般的にみられる、怨みや祟りは英語に最適な表現がないのだ。

 実は怨念を描いたホラー映画はハリウッドにもある。それが、1992年公開の『キャンディマン』だ。キャンディマンは実態のあるモンスターだが、そもそも怨念だ。怨念と化したキャンディマンは自分の名前を口にした人々を無差別に殺す。しかし、ここで問題が発生した。キャンディマンは有色人種であり、白人に怨みを抱いているはずなのに、なぜ仲間である有色人種まで殺すのか、という疑問が出たのだ。

 『キャンディマン』はイギリスの小説家クライブ・バーカー著の短編が原作だ。イギリスはアメリカよりもオカルトが身近で、どちらかというと日本よりの考えを持っている。ところが、アメリカでは生前の記憶や性格は怨念になっても引き継がれているべき、(特に人種問題においてはーー)という考えがあるのだ。

 このように、怨念をすんなりと受け入れられない背景があるため、ハリウッドではジャパニーズホラーをリメイクする場合、ハリウッド好みのアレンジが加えられ、オリジナルでは見られないようなジャンプスケアが幾度となく登場する。

 オリジナルの『リング』や『呪怨』を知っている身としては、『ザ・リング』や『THE JUON/呪怨』はジャンプスケア故に怖さ半減だが、世界観とカルチャーギャップ、そして観客がホラー映画に求めるものをうまい塩梅で映像化するには必要不可欠なのだろう。

どちらが怖いか、どちらを見たいか

 怖さを比較するなら、日本のホラーの方が圧倒的に怖いだろう。というのも、ハリウッドのジャンプスケア満載なホラーは繰り返し観ているうちにタイミングも演出も覚えてしまい、体も感覚も慣れる。

 しかし、私たちは怨念には耐性がなく、積極的に穢れに触れたいと思っていない。日本のホラーが観た人に与えるのは、怨念の概念であり、その瞬間のスリルではない。

 どちらを観たいかは、心と体のコンディションに相談するのがいいだろう。筆者は怖がりな人に日本のホラーは勧めない。時にゲラゲラと笑って済ませられるハリウッドのホラーや、ハリウッドリメイクのジャパニーズホラーを勧めるだろう。

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