マイク・フラナガン渾身の作品はただのホラーではない 『真夜中のミサ』が描く新たな恐怖

『真夜中のミサ』が描く新たな恐怖

 民主主義は、全てを多数派の思う通りにして、少数派を弾圧したり、その声を無視するというようなものではない。法に反していたり反社会的な性質を持っていない限り、政府や市民は少数派の自由や権利も同等に認め、生き方や考え方を尊重しなければならないのだ。

 同時多発テロ直後や、差別的な言動を続ける人物が大統領になった時期、現実のアメリカではマイノリティへの抑圧が一層強くなり、デマや差別的な意見を堂々と主張する人々が目立つようになった。つまり、ここで一つの勢力に席捲されつつある孤島とは、マイノリティへの寛容さをなくしていくアメリカの象徴でもある。小さな島の多数派が、場所を変えれば多数派でなくなるように、ある意見の正当性を全ての人々が無条件で肯定するような状況は、破滅をもたらす危険性が生まれる。それは、日本を含め、多くの国々が歴史的に経験してきた失敗である。

 戦時中、キリスト教や仏教、日本の神道などが政府の方針に利用され、他者を害する正当性を担保してしまったように、神や仏の教えに従うことでより善く生きるための宗教が、ときに教えとは逆の立場のものを信仰し、邪悪な考えを勢いづかせてしまうこともある。本シリーズにおける恐怖や邪悪の象徴となっている存在が、多数派の声や身勝手な願望からくる思い込みによる詭弁で、強大な力を得ていく過程こそが、作品が最も表現したい“恐怖”なのである。だからマイク・フラナガン監督が全ての演出を手がけた本シリーズは、その結末と同様に、一つひとつのエピソードにも重点が置かれているのだ。

 吸血鬼が大量の鼠とともに船から現れる映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)が、伝染病の恐ろしさの象徴だったように、優れた恐怖作品の多くは、ただ恐ろしい怪物を登場させることで怖がらせるのでなく、あくまで現実に人間が直面している問題を描いていた。本作が古典的ともいえるホラージャンル作品にもかかわらず新鮮に感じるのは、近年の社会における深刻な状況を題材にした作品だからである。

 しかし、絶望や罪を描いた本シリーズには、ある“救い”も描かれている。劇中に登場するように、カトリックでは「告解」というならわしがある。生きていくなかで犯した罪を聖職者に告白することで、信者たちは自分の罪を自覚し、神に赦しを請うのだ。そのプロセスに沿うように、ここでは邪悪な道に足を踏み入れた者が、神の側に戻ってゆく姿をも映し出される。

 人が悪い方に変わり得るのと同様に、われわれは自らの行いを反省し、より善い人物に変わることもできるのだ。それはもちろん、宗教だけにとどまる話ではない。『真夜中のミサ』が語りかけているのは、善きにせよ悪しきによ、自分が変わる機会に何を選択するかで、人生の意味も大きく変わることになるはずだというメッセージなのである。

■配信情報
『真夜中のミサ』
Netflixにて配信中
原作・制作:マイク・フラナガン
出演:ケイト・シーゲル、ザック・ギルフォード、ハミッシュ・リンクレイター、ヘンリー・トーマスほか
COURTESY OF NETFLIX (c)2021

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