マイク・フラナガン渾身の作品はただのホラーではない 『真夜中のミサ』が描く新たな恐怖

『真夜中のミサ』が描く新たな恐怖

 恐怖を描くジャンル作品には、まだまだ新しい可能性が存在する。そうわれわれに思わせてくれる新たな作品が現れた。Netflixで配信中のドラマシリーズ『真夜中のミサ』である。

 スティーヴン・キング原作の『ジェラルドのゲーム』(2017年)、『ドクター・スリープ』(2019年)を手がけたマイク・フラナガン監督が、その経験を基に、今回まさにスティーヴン・キング風のオリジナルストーリーを書き上げ、さらには全7エピソードを自ら監督した渾身の作品といえる。

 舞台は、アメリカの小さな孤島。飲酒運転による事故で少女を死に至らしめた男、ライリー(ザック・ギルフォード)が刑期を終えて、島の漁村にある実家に帰ってくるところから物語は動き出す。そんな折、漁村にもある変化が起き始めていた。島唯一の教会の司祭である老神父が姿を消し、代わりに若い神父(ハミッシュ・リンクレイター)が着任したのだ。

 神父はミサにおいて、“ある奇跡”を起こし、人々を驚愕させる。素朴な生活をする漁民や、敬虔なカトリック信者の多い村で、神父はそれ以来カリスマ的な存在になっていくのである。しかし彼は、ある重大な秘密を隠していた……。

 目を見張るのは、撮影の見事さだ。激しい雨の中でライリーが謎の影を追うシーンや、船で沖合に出るシーンなどの、厳しい自然を幻想的に切り取った野外の光景、そして陰影が強く表現された室内のライティングの美しさなど、映画でもなかなか見られないレベルの映像が、本シリーズでは次々に楽しめる。さらには劇中で響く賛美歌が、映像に託された荘厳な雰囲気や文学的な印象を強めている。このような過剰ともいえる工夫が、「ただのホラー作品ではない」と、われわれに思わせてくれるのだ。

 物語が描くのは、一つの宗教がカルト性を帯び、コミュニティの熱狂を生み出していく過程である。村の人々の信仰心が熱を帯び、学校でミサに参加するように子どもたちに呼びかけ始める事態に至って、アラブ系でイスラム教を信じる保安官(ラフル・コーリ)は、かつて経験したことのある息苦しさを感じることになる。アメリカ同時多発テロが起きたときのアメリカが、排他的な空気に包まれていった状況に酷似しているというのだ。当時、アメリカ国内のアラブ系の人々は、差別的な人々にテロリストだとみなされ、危険な状況に陥ったのだ。この事態に疑問を持った人物には、保安官以外にも、無神論となったライリーや、教師のエリン(ケイト・シーゲル)などがいた。

 もちろん製作者たちはここで、とくにカトリックの危険性をうったえているわけではないだろう。重要なのは、この島においてキリスト教を信じる者たちが“多数派”であるということなのだ。島では多数派が多数派であることを後ろ盾にして、少数の者たちの居場所をなくしていく構図が映し出される。神父による“深夜のミサ”は、そんな多数派の心理を利用し、行動をコントロールすることで、一種の“ファシズム”を生み出していくのである。本シリーズで映し出される恐怖とは、まさにこのような状況への恐怖なのだ。

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