エリック・ロメール作品はなぜずっと愛され続けるのか 宇野維正×森直人が魅力を語り合う
「ロメールの映画だけを観て生きていけるなら、そんな幸せなことはない」
――先ほど宇野さんも言っていましたけど、ロメールの映画って、若い女性が主人公のものが、すごく多いですよね。その女友だちみたいな人も、大体の作品に登場する。
森:今で言うところの“シスターフッド”的な連帯が、ロメールの映画にはごく自然な形で出てくるんですよね。今回のラインナップは、特にそういうものが多いかもしれない。それこそ『レネットとミラベル/四つの冒険』は、文字通りレネットとミラベルという2人の女の子たちの話ですし。昨今のロメール人気は、もしかしたらそういう点の再評価も理由にあるのかもしれない。
宇野:そういう意味でも、ゴダールの映画とは真逆だね。ゴダールの映画にはわりと根深いマッチョイズムがあるじゃないですか。ロメールとゴダールはもちろん深い交流があったわけだけど、撮っている作品の作風はまったく違う。
森:全然違う。ロメールは恋愛やフェティシズムを主題にすることが多いのに、そもそも肉食の匂いが感じられないのが不思議。ちなみにゴダールとトリュフォーは、歳も近くて途中で仲違いしたりしたこともあったみたいなんですが、それに比べるとロメールは、ちょっと超然としたところがあって、やっぱり“長兄”だなと思います。そのトーンが、先ほど話した作品の洗練にも繋がっているような気もします。
宇野:もちろん、ロメールの作品だって、『クレールの膝』(1970年)とかが顕著だけど、作品の一部だけを取り出せば今のポリティカル・コレクトネスの基準ならアウトと言われかねない描写もある。結局映画というのは、なんらかのかたちで映画作家の欲望が反映されるもので。そこを今になって指摘してジャッジすることに何か意味があるとは思えない。
森:バーベット・シュローダーというのちに『モア』(1969年)や『バーフライ』(1987年)を撮る監督が、若かりし頃はヌーベルバーグの近くにいて、1962年にロメールと一緒に映画会社を創立したんですよ。彼が言うには「ロメールは女性と肉体を交えない。すべては官能的な想像力の産物だ」って。本当かよって気はしますけど(笑)。ただマッチョではないけれど、官能性はちゃんとありますしね。清潔なエロティシズムというか。そのバランス感が秀逸だと思います。
宇野:確かにね。あとゴダールの場合は、1968年の五月革命を境に作品が政治化するわけだけど、ロメールの映画は一貫して非政治的だった。それが、90年代に入って、今回のラインナップにも入っている『木と市長と文化会館/または七つの偶然』でいきなり政治を扱った。この作品には当時かなり驚かされたし、今でもフェイバリットの一つですね。そもそもタイトルからしてヤバいですよね。前半部分は原題の直訳ですが、最初はわけがわからなかった。実際に観たら、そのまま「木」と「市長」と「文化会館」の話なんだけど(笑)。
森:(笑)。僕もこの映画、大好きなんですよね。実は「政治とエコロジー」というすごく現代的なトピックも扱っていますよね。
宇野:あと、ジェントリフィケーションを扱う映画としても、すごく早かった。
森:そう。市長がパリの端にカルチャーセンターみたいなものを作ろうとするんだけど、地元の高校教師がそれに反対するというのが大まかなあらすじなんですが、その解決の仕方がまた独特で、すごくロメールらしいんですよね。
宇野:そう。政治を扱っても、ロメールはロメールだった。
森:そこが面白いところですよね(笑)。当時はそれほど話題にならなかった気がするけど、僕はめちゃめちゃいい映画だと思っていて。それこそ、こないだベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員グランプリ)を獲った濱口竜介監督の『偶然と想像』(12月公開予定)も、この映画の影響を相当受けているという話も聞くし。あと、行定勲監督も、この映画がすごい好きみたいです。
宇野:そうなんだ。このタイトルのせいもあってか、そのあとにシネヴィヴァンで公開された『パリのランデブー』に比べても、興行はかなりイマイチでした。だけど、今、いろんな監督に参照される機会の多いロメール作品のひとつにはなっているのもわかります。いろんな意味で、すごく現代的な映画ですよ。つまり、ちょっと早すぎた作品。
――同作に限らず、ロメールが今の映画監督たちに与えている影響も、結構大きいような気がします。
森:そうですね。ロメールからの影響という意味では……深田晃司監督の『ほとりの朔子』(2013年)っていう映画があったじゃないですか。あれは完全にロメールを意識して作っている。ただ、深田さんとロメールってタイプが違うんですよね。めちゃくちゃいい映画で、僕は大好きなんですが、深田さんはロジックを丁寧に固めて作品を構築していくタイプなので、ロメールとは手法が同じでも資質自体が違う。例えば“抜け感”の有無とかね(笑)。もちろん、それは良い悪いとは別の話ですよ。『ほとりの朔子』はタイプの異なる作家による全力のロメール・オマージュとして非常に面白い。
――なるほど。
森:その一方で、今泉力哉監督がいる。彼は、逆に資質がロメールと似ていると思うんですね。
宇野:確かに、深田監督のように手法はそんなに似ていないけど、資質が近いのは今泉監督かもしれない。
森:おそらく今泉さんは、決して最初からロメールを目指して映画を撮っていた作家ではないですよね。まわりから似ていると言われてから、自分でもロメールを意識し始めたんじゃないかな。また、さっき言ったようにホン・サンスもロメールの影響を受けているけれど、ホン・サンス自身は基本的に男性原理が強いし、美的な画的構成にはわりと無頓着。『カンウォンドのチカラ』(1998年)や『アバンチュールはパリで』(2008年)などを観ても、「真似ている」からこそ余計に違いが際立つところがある。僕はホン・サンスも別の個性として大好きですけどね。だから、ひと口に影響と言っても、いろいろ補助線の引き方があると思うんです。
宇野:今、森さんが言ったように、いろんな人が「ロメールっぽい」と作家たちの作品を形容することがあるけれど、当たり前だけどみんな微妙に違う。そういう意味でもやっぱり、ロメールは唯一無二だよね。それにしても、世界のいろんなところで映画監督が発見されるときに、「ロメールっぽい」という形容をされること自体、ロメールの偉大さと普遍性を証明している。
森:それは本当に思います。逆に言うと、ロメールは時代に搦めとられなかったということですよね。
――今回ラインナップされている作品も、いわゆる“80年代感”みたいな、わかりやすい時代感はほとんど感じないですよね。
森:40年以上もの長きにわたって映画を撮り続けてきたのに、どの時代にも搦めとられなかった。いちばん最初の話じゃないけど、だからこそ“株”が長持ちしているところがあるんじゃないかな。宇野さんが最初に言ったように、晩年に至るまで、コンスタントにいい映画を撮り続けたということがもちろん大きいとは思うんですが。
宇野:他のヌーベルバーグの作家と違って、途中で大きくスタイルを変えなかったから、時代ごとに評価が異なるようなこともない。フィルモグラフィー丸ごと愛せるという点でも、本当に特別な作家ですよ。今回配信されるのは主に80年代の作品で、当時ロメールはもう60代だった。それでいてこの感性の異常な瑞々しさは、何なんだろうね。俗っぽさも脂っぽさも全然無い。
森:確かにロメールの映画には、ルサンチマンやコンプレックスみないなものがまったく感じられないですよね。
宇野:人生のどこかのタイミングで、ロメールの映画をひたすら観る時間っていうのは、絶対に必要なものなんじゃないかとさえ思う。だから、特に若い人たちには、是非そうしてくださいとしか言いようがない。何本続けて観ても胃もたれしないので、もうひたすら観てください。絶対いいから。
森:大絶賛ですね。一点の曇りもなく。喋っていてもひたすら楽しい。
宇野:ロメールの映画だけを観て生きていけるなら、そんな幸せなことはないですよ(笑)。
■配信情報
「エリック・ロメール:喜劇と格言劇+3」
ザ・シネマメンバーズにて、9月15日(水)より配信
作品ラインナップ
『飛行士の妻』
『美しき結婚』
『海辺のポーリーヌ』
『満月の夜』
『緑の光線』
『友だちの恋人』
『レネットとミラベル/四つの冒険』
『木と市長と文化会館』
『パリのランデブー』