意義深いアニメーション作品 現実ともリンクする『ホワット・イフ…?』のメッセージ
さて、本シリーズは物語の面でも興味深い点が多い。第1話「もしも…キャプテン・カーターがファースト・アベンジャーだったら?」では、第二次世界大戦を舞台にした映画『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』(2011年)と設定は同じだが、お馴染みのスティーブ・ロジャースではなく、彼の意中の女性ペギー・カーターが代わりにスーパーソルジャーとなるなど、みんなが知っている物語が、異なる展開へと転がっていく。
注目したいのは、キャラクターの役割が変更されることで、表現される戦いの意味も変わってくるという部分だ。新たな“キャップ”となったペギーは、映画のキャプテン・アメリカよりも過酷な運命が待っている。強大なパワーを手にした後も、彼女が女性であることで、軍のなかで偏見にさらされてしまうのだ。ナチスやヴィランと戦いながら、味方からの差別とも戦わなければならないペギーは、より現代的なテーマを体現するヒーローとして描かれている。これはある意味、DCコミックス原作の『ワンダーウーマン』シリーズの描き直しともいえる。
『ワンダーウーマン』(2017年)は、先んじて女性ヒーローを本格的に描いた超大作映画で、予想外の大ヒットを記録した成功作だ。この公開時までに、まだ女性ヒーローを主人公にした映画を送り出せていなかったマーベル・スタジオとしては、痛恨の極みであったことは想像に難くない。だが、“もしも”マーベル・スタジオが、先に女性ヒーローを確立させていれば、また違う現在があり得たに違いない。そういう、物語以外の意味でも、この描き直しは興味深いといえるのだ。
第2話「もしも…ティ・チャラがスター・ロードになったら?」は、そのタイトルの通り、ティ・チャラがブラックパンサーにならず、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズの主役として宇宙で活躍するヒーローだったらどうなっていたのかという、奇想天外なものだ。
面白いのは、ティ・チャラがあまりにも有能過ぎて、銀河の問題の多くが解決されてしまっているという設定だ。彼がスター・ロードになることで、将来のアベンジャーズの戦いも楽になり、未来が好転することになるのである。これでは、“元祖スター・ロード”こと、ピーター・クイルの立場がなくなってしまうではないか……。そんなネタも含め、本シリーズは、これまでのシリーズのファンであればあるほど笑えるような、楽しい仕掛けが施されてもいる。さらに、ティ・チャラの声を、いまは亡きチャドウィック・ボーズマン本人が生前に演じているのも味わい深い。
そんな“もしも”は、必ずしも良い方向に転がっていくわけではない。第3話「もしも…世界が最強のヒーローたちを失ったら?」では、ニック・フューリーが集めようとしていたアベンジャーズの中心メンバーが、謎の攻撃によって次々に失われていくという、悪夢のような展開が描かれる。この悲劇によって、単体としてはそれほどの脅威にはなり得なかった、ヴィランとしてのロキも、手薄の状態をいいことに地球を簡単に蹂躙してしまえるのである。
しかし、『アベンジャーズ/エンドゲーム』で、ヒーローたちが回復不能と思われた絶望から光明を見出したように、どこかに希望は転がっているものだ。どんなに厳しい未来が待ち受けようと、選択を間違えようとも、諦めずにベストを尽くすのがヒーローたちの義務である。今後のエピソードでも、ヒーローたちは自分のできる最善の方法で宇宙の平和を守ろうと奮闘するだろう。
それでは、現実の世界はどうだろうか。個人の小さな失敗から、人類規模の戦争や公害まで、現実の世界に生きる人々は多くの間違った選択を選び、「正解」といえるような道を進んでいるとは言い難いのではないか。つまり、マルチバースの概念からすれば、われわれの生きている世界は、「“もしも”人類が自滅の道を辿っていくとしたら」という、一つの悲劇的なエピソードの途中なのかもしれない。
だが、どんなひどい展開になったとしても、その時その時に立ち止まって考え、未来に生きる者たちのために最善と思える行動を選びとることが重要ではないか。その積み重ねが、未来を本来あるべき姿に近づけていくはずなのである。『ホワット・イフ…?』は、ヒーローたちの運命だけではなく、現実のわれわれにそんなメッセージを語りかけるシリーズなのではないだろうか。
■配信情報
『ホワット・イフ…?』
ディズニープラスにて、毎週水曜16:00〜独占配信中
(c)2021 Marvel