『十一人の賊軍』は東映の「集団抗争時代劇」と笠原和夫の“魂”を現代に蘇らせたのか?
『十七人の忍者』(1963年)や『十三人の刺客』(1963年)に代表される、東映が1960年代に製作していた「集団抗争時代劇」。その現代版として、2024年に東映が送り出す一作『十一人の賊軍』が公開されている。
監督を務めたのは、『孤狼の血』シリーズを成功させた白石和彌。その“時代劇版”ともいえる本作の企画ではなんと、『仁義なき戦い』シリーズをはじめ、数々の脚本を東映で書いている笠原和夫の、映画化が実現しなかったプロットを原案としているのだという。果たして、東映の「集団抗争時代劇」と、笠原和夫の“魂”は、現代において蘇ることとなったのか。ここでは時代の変遷を軸に、『十一人の賊軍』のテーマを考察していきたい。
本作の舞台となるのは、徳川政権を終わらせることとなった戊辰戦争の時代における、越後の新発田藩(しばたはん)。幕府に対して「尊王」を掲げる新政府軍(官軍)の侵攻によって、幕府に与する諸藩が戦々恐々とするなか、新発田藩は生き残りのため、兵器に優れた官軍側につく算段を立てていた。しかし、周辺諸藩は圧力をかけ、「奥羽越列藩同盟」に新発田を加えようとしていたというのが、史実を基とした、大まかな設定である。
新発田藩では、できる限り衝突を避けるため、同盟への協調の態度を見せて時間稼ぎをしながら、その上で官軍と同盟を結ぶという、デリケートな舵取りを余儀なくされていた。城代家老・溝口内匠(阿部サダヲ)は一計を案じ、刃傷沙汰を起こした娘婿の入江数馬(野村周平)を隊長に、幕府への忠誠心にあつい武士・鷲尾兵士郎(仲野太賀)、死罪を申し渡された駕籠かき人足の政(山田孝之)などの罪人たちを、「賊軍」に偽装させた「決死隊」として送り出す。そして隊に要所の砦を守らせ、幕府派の軍勢が新発田を去るまで、官軍の足止めをするように命じたのだ。
しかし、その作戦の真実は、命をかけさせた上で口止めのために葬るというもので、決死隊を捨て石とする無情なものだった。そして、対する官軍もまた、当然の流れとして容赦なく命を奪おうと迫ってくる存在である。まさに決死隊は、「前門の虎、後門の狼」といえる状況。この板挟みの構図を、圧倒的で凄惨な暴力として、血みどろ、人体破壊のアクションとして見せていくというのが、本作の趣向である。
頭蓋が吹き飛ぶ爆破シーンや、刃物を振り回すことで指や腕などが欠損していく剣戟シーンにリアリティが備わっているところは、本作ならではの手柄だといえよう。また、そんな殺伐とした状況で、あくまで正義ではなく、自分たちの生きる理由を優先させる、山田孝之、尾上右近、鞘師里保らが演じる罪人たちの、権力や慣習に抗う“人間的”な振る舞いは、一般的な「時代劇」の枠の外で、パンクな空気感を生み出している。
罪人だけでなく、仲野太賀演じる武士に代表されるように、自分が仕える存在から裏切られ、死地に立たされる立場というのは、『仁義なき戦い』シリーズにおける構図と共通のものがある。そして、無頼漢たちが命をかけて戦うという展開は、小林正樹監督の『いのちぼうにふろう』(1971年)に似通っているし、刑場での陰惨な罪人の殺害が描かれるという部分では、石井輝男監督の『徳川女刑罰史』(1968年)、そして、侍の悲しい境遇とともに幕府の落日を表現するという意味では、岡本喜八監督の『侍』(1965年)を想起させるなど、さまざまな時代劇映画の要素もまた、本作では感じられるのだ。
これらの映画作品、そしてもちろん笠原和夫の諸作に感じられるのは、権力への反発と批判的態度である。本作の劇中では、外国人や外国文化を排斥する「攘夷論」を振り回す侍が登場するが、岡山天音が演じる罪人に、“外国文化を都合よく利用しながら外国人を否定する”という身勝手さを指摘されるといった場面があるように、時代劇にことよせて、むしろ現代の状況を風刺する試みこそ、笠原の本懐だといえるだろう。
日本では、例えば歌舞伎や落語などの大衆娯楽が、過去の物語を提供しながら、暗に現在の政府を批判し、弱者にとって厳しい社会を生きる観客たちの溜飲を下げるといった役割を担っていたところがある。戦後の日本でも、大衆娯楽として多くの映画作品が、同様に政府や権力を批判する内容を、物語のなかに込めていたのだ。