ジェームズ・ガンの趣味全開! 『ザ・スーサイド・スクワッド』は未来に期待が持てる一作
色々あったけど、みんな反省したんだなぁ……『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』(2021年)のエンドロールを眺めながら、そんなふうに心の中で呟いた。
前作『スーサイド・スクワッド』(2016年)は、DCコミックの悪役たちが、困難な任務に挑むためのチーム「スーサイド・スクワッド=自殺部隊」を組み、世界を救う戦いに挑むという物語だった。監督を務めたのはデヴィッド・エアー。軍の潜水艦乗りを経験した後、映画業界に入った異色の映画人だ。その作風はハードかつヴァイオレンス。そんなわけで当初の『スーサイド・スクワッド』は、エアー監督らしい暴力と狂気が全開の作品だったという。しかし公開前に映画会社内の “大人の事情”で、本来の方向性とは真逆の明るくポップな映画に変えろと無茶振りが発生。映画は途中からエアー監督の手を離れ、強引な編集で当初とは全く異なる内容で世に出てしまい、期待されたほどの評価を得ることができなかった。さらに同じくDCのザック・スナイダー監督の『ジャスティス・リーグ』(2017年)でも、監督の交代と作風変更の無茶ぶりが起き、同様の結果に終わってしまった。
しかし、こうした露骨な“大人の事情”が明るみに出ていくうちに、ファンの間で「本来の監督が考えていたバージョンを見せてくれ!」と望む署名活動が広まっていく。DCの『ジョーカー』(2019年)が好き勝手にやったら、興行・批評の両面で大成功したことも追い風になったのだろう。遂に2021年、ザック・スナイダー監督の『ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット』が世に出たのである。すると4時間にも及ぶ超大作でありながら、非常に高い評価を得ることができた。そして今は『スーサイド・スクワッド』のデヴィッド・エアー版を求める活動が続いているのだが(絶対に面白いと思うので、是非とも観てみたい)……こうした数年に及ぶ場外乱闘の末に、みんな“大人の事情”は良くないと反省したのだろう。それくらい『ザ・スーサイド・スクワッド』は自由だ。監督を務めたジェームズ・ガンの趣味が全開の快作に仕上がっている。
前段が長くなったが、本作のあらすじはシチュエーションが変わっただけで、基本的に前作と同じである。悪の陰謀をブッ潰すため、囚人たちが決死のミッションに挑む……というシンプルなお話だ。しかし、予想の斜め上の展開が連打され、呆気にとられること間違いなし。キャラクターは好き勝手に動き回り、まるで現実の“大人の事情”をあざ笑うかのように「利害関係で考えれば、当然こうなるよね」という展開を、ことごとく裏切っていく(もちろん、その結果として不幸な目に遭うシビアさも描かれる)。そしてガン監督のマインドが、映画の開始15分で爆発する。物語はスーサイド・スクワッドが独裁国家へ潜入するところから始まるのだが……冒頭からビックリドッキリな死にざま博覧会だ。頭は吹っ飛び、手足はモゲて、人は燃えて……明らかにこれまでのDC作品とは異なる、行きすぎた残虐描写が炸裂。まさに修羅場が繰り広げられるわけだが、しかし悲壮感は全くない。そもそも海に入った段階で泳げずに死んだり、まったく役に立たない能力だったり、ズッコケ感が強調されているのだ。
予算はすごいが、やっていることは完全にガン監督のキャリアのスタートになったトロマ映画のノリだ。トロマ・エンターテインメントは、低予算かつ大バカなホラー映画で知られる映画会社である。特に80年代の『悪魔の毒々~』シリーズは有名で、ここ日本でも熱狂的なファンが多い(今でいうと『シャークネイド』(2013年~)シリーズのアサイラム社のようなものだろうか)。ガン監督はこのトロマでキャリアをスタートした男であり、笑えるグロテスクを身に着けているのだ。代表作となった『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(2014年)シリーズでも、直接的な人体損壊描写こそ少ないものの、全体的にヌチョッとしたクリーチャーや、「死」にまつわるギャグが多かった。