森山未來が維持するダンサーとしての身体性 東京オリンピック開会式で感じた驚き
賛否両論が巻き起こる中で敢行された、東京2020オリンピックの開会式。そこで単身、ダンスパフォーマンスを披露した森山未來に注目が集まっている。広大な国立競技場に設置されたステージ上にて、たった一人で照明を浴びて舞う彼の姿を、多くの方が息を呑んで見つめていたようだ。
出演が発表されていなかったうえに、ステージ上での森山は一言も発さないため、彼のその胸中を推し量ることはできない。ただ、世界が注目するあの場に単身で臨んだというのは、彼が一人で何かを背負おうとした証左だとも思える。あの瞬間は、いろいろな意味において、あの場が“世界の中心”となっていたことだろう。そんな森山の踊る姿を目にして、驚嘆の声を上げる人が多いのにはうなずかざるを得ない。しかし彼があの場で踊ったという事実以上に驚きなのが、森山が身体パフォーマンスに長けた表現者だったことに対する驚きの声の多さだ。ダンサー・森山未來としての顔を知らない方が、とても多かったようなのである。
森山の過去の出演作を、いくつか思い返してみていただきたい。それらには彼の踊る姿が収められているはずだ。その中でも特に彼の踊りが際立っている作品といえば、2010年放送のドラマに続いて映画も製作された、やはり『モテキ』(2011年)だろうか。ダンスシーンばかりが頭に残っているという方もいるのではないかと思う。同作においてダンスとは、主人公の心情を表象するもの。映画を構成する重要なエレメントとなっていた。特に、オープニングテーマとなっているフジファブリック「夜明けのBEAT」のMVでは、ドラマや映画の物語性とは異なる次元で、より感情的な激しいダンスを披露している。ここでは、メインとなっている音楽に対して森山の踊りは欠かせぬものであり、また同時に、森山の踊りに対しても音楽が欠かせないものとなっている。つまりこのMVは、非常に完成度の高い映像作品でありながら、もちろん音楽作品であり、そしてやはりダンス作品でもあるのだ。未見の方はすぐにでもYouTubeで検索をかけていただきたいところである。
もちろん、観客の目の前で俳優の生の身体が躍動する演劇作品においても、彼のダンスは活かされてきた。ミュージカルなどは当然のことだが、繊細な身体表現が求められる作品では、森山だからこそ演じられたものも多かったのではないかと思う。“一人の青年が朝目覚めると、虫になっていた”ーーというあらすじで知られるフランツ・カフカの『変身』を演劇化したものでは、虫になってしまうかの有名な青年、グレゴール・ザムザを演じ上げた。生身の人間が生身の身体のまま、“虫”を演じたのである。異常なまでに優れた森山の身体性が、一部の人々に深く浸透した作品なのではないだろうか。そう、つねに彼は、“俳優が踊る”域を超えるパフォーマンスを見せてきたのだ。