“分かりやすさ”より大事なものを求めて 綿矢りさが語る、ウォン・カーウァイ監督の独自性
「今だからこそ新鮮に映ると思う」
ーーそんな綿矢さんが、今の人たちにカーウァイの映画をおすすめするとしたら、どんなところでしょう?綿矢:最近のいわゆる分かりやすい映像美とは逆の方向性というか……最近のものって、すごく鮮やかで解像度も増していて、3D技術もすごかったりするじゃないですか。でも、カーウァイの映画はそうではなく、フィルターを通してあえて粗く世界を見ているような感じがあって。
ーーちょっと、トイカメラの写真のような感じもありますよね。
綿矢:そうそう。そういうのは、逆に今だからこそ新鮮に映ると思うんですよね。みんなクリア過ぎるものに、ちょっと疲れてきていると思うから。あとは、出てくる人たちの魅力ですよね。みんな、ひと言で言い表せないような個性がある。自然体でこびないんだけど、どこか可愛らしい……それってあんまり他の映画では見られない人間造形だと思うんですよね。情けなささえ、魅力に感じる。しかもそれが、カーウァイ映画の場合は、セクシーな方向に働いている。あと、最近の日本の音楽シーンとかを見ていると、カーウァイ映画のような何とも言えない感情にフォーカスを合わせたものが、すごく求められている気がしていて。いっときの“明るくて爽快”っていう感じの音楽ではなく、“苦しい”とか“せつない”とか……でも、暗すぎるわけじゃないみたいな音楽が、最近増えてきているような気がしていて。だから、今の若い人たちが観ても、かなり面白いんじゃないかなって思います。
ーー小説家として、綿矢さんがカーウァイ作品から受けた影響はありますか?
綿矢:小説とは全然違う方法論で撮られている監督だと思うので、直接的な影響はそんなにないと思うんですけど、ある種の“分かりやすさ”よりも、自分が撮りたいものを撮っているあの感じは……公開当時は、多分いろいろ言われたと思うんですよね。でも、そこになにがしかの意味を見出した人っていうのは、やっぱりいて……そういう人たちが、カーウァイの映画に夢中になっていったわけで。だから、自分が書くものも、これは全然説明してへんし、意味わからんけど、それを放り込んでいいのかなとか迷ったりしたときに、カーウァイは、気にしんとめっちゃ放り込んでたなっていうのを思い出して、ちょっと気が楽になるというか(笑)。
ーー(笑)。
綿矢:あとは、さっき言った、登場人物たちの魅力ですよね。カーウァイは、やっぱり役者の魅力を引き出すのがすごく上手いと思います。出演者が決まってから物語を作っていったんじゃないかと思うほど、その人にピッタリなキャラクターになっていて。そういう表現の仕方も、ちょっと憧れるというか、自分が小説の登場人物を作るときに、活かせたらとは思います。
ーー綿矢さんの作品は、『勝手にふるえてろ』(2017年)、『私をくいとめて』(2020年)、そしてこの秋には『ひらいて』(2021年)が公開予定など、映画化されるものも多いですが、それについては、どんな感想を持っているのでしょう?綿矢:小説を書いているときは、映像で浮かんでいるというよりは、全部文字で考えているから、それが映像になるのは、すごく意外なことです。実際、映画化されたものを観てみると、自分が書いてないところが描かれていたりして、原作を書いてるおかげでそれがすぐ分かるから、その作品の映画としての個性が、他の映画を観るよりも、すごく伝わってくるんですよね。「あ、こういう見方で、そこに監督さんの個性も落とし込んで、作らはったんやな」っていうのが、その小説を書いた本人だけに、直接体験できるというか。それがいっつも嬉しいんですよね。
ーー確かに、映像化前提で書かれてないものが映像化されるというのは、結構貴重な体験ですよね。
綿矢:貴重ですね。小説は、全部ひとりで考えて……もちろん編集者さんに見せたり、話し合ったりとかはするんですけど、基本的には単独でできているものなので、そこに他の作り手さんの個性や、演じている方の個性が入ってきて、また違う作品になっていくのが、すごく面白いなと。とても贅沢な体験だと思いながら観させていただいています。
■配信情報
「エッセンシャル:ウォン・カーウァイ」
『恋する惑星』『天使の涙』『ブエノスアイレス』『花様年華』
ザ・シネマメンバーズにて8月より順次配信
公式サイト:https://members.thecinema.jp/