安達奈緒子が『おかえりモネ』に込めたものとは? 清原果耶の“じっくり考える”ヒロイン像
現在、放送中のNHKの連続ドラマ小説『おかえりモネ』は、実にゆったりと時間が進んでいる。いわゆる「何も起こらない」中にも何かが確実に起こっている物語。しかし、改めて6週目までを観て最初の頃を振り返ると、実にたくさんのテーマやメッセージが詰め込まれているように感じる。
この物語のベースには、中学時代に震災にあった主人公の百音(清原果耶)の心の傷がある。震災時、百音は高校受験で仙台に滞在しており、生まれ育った気仙沼市の亀島にいる同級生や家族と同じく津波の恐怖を体験をしていないことも、彼女になにかを背負わせている。それと同時に高校に合格しなかったことで音楽への夢もあきらめ、高校卒業後は島にいたくないと、祖父の伝手で登米市の山林地域の森林組合に就職し暮らしている。
傷を抱えているのは百音だけでない。彼女の父親の永浦耕治(内野聖陽)もまた、幼なじみで漁師の及川新次(浅野忠信)の生活を一変させたことの一端に、自分の銀行員としての在り方が関係していることをずっと重く受け止めている。新次が、銀行員として融資をしてくれなかった耕治を責めるシーンを見ると、融資を受けられず自殺した父の復讐のために銀行員になる『半沢直樹』(TBS系)のことを思い出してしまった。
しかし、このドラマは、復讐をする、されるということを描くのではなく、どうにもならないことを前にして、人がどう生きていくのかが描かれるのではないだろうか。
この「どうにもならないこと」には、もちろん「天気」や「自然」ということが大きく関わってくる。百音は嵐の日に母親(鈴木京香)が産気づいて産まれた子だ。そのときも、新次が出した船によって、百音の母親は救急医療を受けられた。百音が森林組合で働き始めた後にも、林間学校で来ていた小学生とともに山で嵐に巻き込まれ、遭難しかけている。
もちろん、2011年の震災を経験したことも、「自然」に関わっているし、もっといえば、百音が海の近くで生まれ、祖父(藤竜也)が漁業を営んでいることも「自然」とともに生きてきたということである。また百音が島を離れて働く森林組合も、もちろん自然に向き合う仕事である。「自然」と向き合ってきたからこそ百音は「気象予報士」を目指すことにつながるのであるこのドラマの中では、このように一見、バラバラに見えるさまざまなことが実はつながっていて、切り離せないとうことが、徐々に見えてきている。
もうひとつ、このドラマのテーマとして大きいと思われるのが、こうした自然に向き合うとき、最短距離でアプローチするのか、それとも回り道をするのが良いのかということである。