安達奈緒子脚本の真骨頂 “ゆっくり”と過去が描かれる『おかえりモネ』の斬新さ

“ゆっくり”過去が描かれる『おかえりモネ』

 『透明なゆりかご』(NHK総合)、『きのう何食べた?』(テレビ東京ほか)の安達奈緒子が脚本を手掛ける『おかえりモネ』は非常に爽やかでありながら、斬新な朝ドラだ。

 そう思わせるのは、『エール』『おちょやん』(共にNHK)と戦前戦後を描いた作品が続いた後の、現代を描いた朝ドラであるからというのももちろんある。だが何より、登場人物の「現在」を軸に、ふとした瞬間に立ち現れる「過去」が描かれることによって、まだほんの断片、輪郭程度にしかわかっていない登場人物たちの人生の物語がゆっくりと明らかになっていくという手法に惹きつけられる。

 また、ヒロイン登場シーンも予想を軽やかに裏切る鮮烈さだった。何かと水と戯れることの多い朝ドラヒロインであるが、幼少期をすっとばしていきなり大人になった本作のヒロインである永浦百音は、洗濯機の水が作る渦巻を指で追いかけながら、ただじっと見つめている。無邪気に。まるで赤ん坊のように。『おかえりモネ』は、『透明なゆりかご』で視聴者の多くを驚かせた清原果耶の、澄み切った眼差しのその先を、共に追いかけるドラマでもある。

 百音は、極めて平凡なヒロインである。海の美しい自然豊かな島で健やかに育ったヒロインが、思うところあって高校卒業と同時に故郷を離れ、およそ60km離れた土地の森林組合で働き出すが、やりたいことが特になく、ただぼんやりと「誰かの役に立ちたいけれどどうすればいいのだろう」と思って逡巡している。

 気象キャスターの朝岡(西島秀俊)や医師・菅波(坂口健太郎)との出会い、山での豪雨経験をきっかけに気象予報士の仕事に興味を持ち、学び始める。たまに実家に帰ることで、距離を置きたいと感じていた故郷への愛着に気づく。こうやってあらすじだけを要約すると、主軸は、サヤカ(夏木マリ)の言葉を借りれば極めて「真っ当で健全な」悩みを内に秘めた、言ってみればありがちな成長物語であると言える。

 1120年続くお寺の息子でありながら、他の道を行きたいと願う三生(前田航基)や、彼にかつての自分を重ねる「家業を継がなかったパイオニア」こと百音の父・耕治(内野聖陽)もそうだ。彼らはまるで、冒頭に描かれた「この山で生まれた限りどう頑張ってもヒノキになれないのに、ヒノキに憧れて、明日はヒノキになろうと思いながら大きくなった」ヒバ(アスナロ)の木のように、この土地で、漁師の子や僧侶の子として生まれた自分の宿命のようなものに対して、もどかしさや葛藤を内に秘め、豊かで壮大な自然の中ではまだまだちっぽけな自分を感じながら、懸命に、真っ直ぐに生きている。

 百音と、百音の家族、友人たち、気仙沼の「海の人たち」は、登米の「山の人たち」と同様に、いつも明るく朗らかだ。でも、時折その笑顔に影が立ち込めることがある。例えば、登米で、気仙沼の海でみた光景とよく似た移流霧の光景を見つめた時の百音の表情。亮(永瀬廉)の父・新次(浅野忠信)の話題が出るたびに表情を強張らせる耕治と亜哉子(鈴木京香)。「昔は甘えん坊だったのに、最近一人でこの家背負って立つんだと意地になっている」ように見える未知(蒔田彩珠)。酒浸りの父親を抱え、「他に選択肢がない」から漁師になった亮。

 ドラマにおける現時点での「現在」である2014年から3年前に起きた東日本大震災は、彼らの人生と価値観に多大な影響を与えた。また、祖母・雅代(竹下景子)の介護も、まだ詳しくは明かされていないが、回想において時折映り込む雅代の表情や、耕治と亜哉子の会話からして、決して平坦なものではなかったのだろう。

 彼らの明るく賑やかな、一見起伏のない穏やかな日常は、「祖父・龍己(藤竜也)が頑張ってやっとここまで」という耕治と亜哉子の言葉からもわかるように、血の滲むような努力の上に立っている。そして、その水面下で言葉にならずに渦巻いている、彼らが普段は心の奥の方にしまっている感情は、ふとした拍子に物語上に浮上してくるのである。

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