『大豆田とわ子と三人の元夫』は理想の男女関係を描き出した 坂元裕二の過去作と比較考察

『まめ夫』は理想の男女関係を描き出した

※本稿は『大豆田とわ子と三人の元夫』最終回のネタバレを含みます。

 男性の脚本家で坂元裕二ほどのフェミニストはいないのではないか。虐待された女児と彼女を救った女性の逃避行を展開した『Mother』(日本テレビ系)、シングルマザーが苦境に陥った『Woman』(日本テレビ系)のような作品はもちろん、会社でのパワハラや家庭でのモラハラを扱った『問題のあるレストラン』(フジテレビ系)などで、日本社会の中で差別され、経済的に困窮し暴力を振るわれることもある女性の現状を描いてきた。劇中には女性を傷つける男性が出てきて、ひどい言葉を投げかける場面もあり、その描写には見ていて胸が苦しくなるようなものも。女性視聴者からすると「ここまで描いてくださって恐縮です」と言いたくなることもある。

 6月15日に最終回を迎えた『大豆田とわ子と三人の元夫』(カンテレ・フジテレビ系)は、同じ松たか子主演で制作された『カルテット』(TBS系)に続き、ウディ・アレン映画のような大人向けの都会的なコメディだった。恋愛をはじめとするさまざまな要素がありながらも、最後は主人公のとわ子(松たか子)と娘の唄(豊嶋花)、そして、とわ子の亡き母という女性三代の物語として帰結したように見える。とわ子には三度の離婚経験があり、最初の夫で唄の父親であるレストラン経営者・田中八作(松田龍平)、二番目の夫でカメラマンの佐藤鹿太郎(角田晃広)、三番目の夫で年下の弁護士・中村慎森(岡田将生)という三人の元夫がいる。彼らと再び顔を合わせるようになり、自宅に押しかけられ、うっとおしいまでにアプローチされるが、結局はその誰とも再婚しない、という選択をしたのだ。

 思い返せば、このドラマは、とわ子の実母の四十九日から始まっていた。とわ子の父・旺介(岩松了)は元参議院議員。とわ子が少女の頃に両親は離婚し、のちに父は別の女性と再婚した。父いわくとわ子は「転んでも1人で起きる子」であり、40代になった今は建設会社の社長となって成功し、瀟洒なマンションに住んでいる。もう若くはないし、バツ3で子持ちだが、アプローチしてくる男性もいる。

「1人でも大丈夫になりたい? それとも、誰かに大事にされたい?」

 少女時代のとわ子に亡き母はこんな問いを投げかけていた。自分は「1人でも大丈夫」だったから、夫と別れることになったのだと言った母。とわ子が1980年頃の生まれとして、当時は専業主婦が外で働く女性の2倍。「自立か“女の幸せ”か」というのは現実的な選択であったろう。少女のとわ子は「1人でも大丈夫だけど、誰かに大事にされたい」と答える。「でも、誰も見つからなかったらどうしよう」とも。そこで母が「そのときは、お母さんに甘えなさい」と言ってくれたことが、三度の離婚を経験し40代になった今でも、とわ子の心の支えになっていたようだ。つまり、この物語は“最終的に頼れる人”だった母を失ったとわ子の再出発を描いていたわけである。

 女性のみならず誰にとっても「1人でも大丈夫だけど、誰かに大事にされたい」というのは偽らざる本音だろう。できることなら経済的にも精神的にも自立し自由に生きていきたい。でも、一緒に暮らして網戸が外れたときに直してくれるようなパートナーもほしい。とわ子は母に続いて幼なじみの親友・かごめ(市川実日子)を失い、会社が買収されそうになり社長としてもダメ出しされ、「限界なんだよ。誰かに頼りたいんだよ」という精神状態になってしまう。そして、新たに知り合った小鳥遊(オダギリジョー)からプロポーズされ、社長を退任して彼と共にマレーシアに行くかどうかという二択を迫られる。しかし、とわ子は小鳥遊に別れを告げ、これまでどおり経営者責任を背負って働き、三人の元夫とはこれまでどおり友人のように付き合っていくことを選んだ。

 最終話はその後日談のようなエピソードになった。とわ子は亡き母の遺品の中から「まー」こと國村真(まこと)宛てのラブレターを発見。娘の唄に「おばあちゃんが生きた人生は私の未来かもしれない」と言われ、その人に会いに行く。ところが、予想外にも真(風吹ジュン)というのは女性だった。子どもの頃からの友人であり恋人でもあったという母と真。その関係は、とわ子とかごめを連想させる。もしかすると、とわ子も亡き母のように男性と結婚して子を成したが、実は深層心理では女性の友人の方にパートナーシップを感じていて、それゆえに男性とは結婚生活を続けられなかったのかもしれない。

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