『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』失敗作ではない? その賛否両論を考える

 さてここからは、僕の『スカイウォーカーの夜明け』についての感想です。正直、本作については賛否両論あったのですが、僕は「賛」。歴代『スター・ウォーズ』映画の中でも非常に好きな作品です。続3部作についてのネガな意見は大きく分けて2つあるみたいです。

 1つは“過去の焼き直し”“既視感がある”的なものです。例えば『フォースの覚醒』は『スター・ウォーズ』のリメイク的な印象もあります。けれどこれは仕方がないことでしょう。

 僕はだいたい12歳ごろに観た作品の影響でその後の映画人生って大きく変わると思います。旧3部作を12歳ごろ観た人がいま50代、新3部作に12歳ごろハマった人がいま30代、続3部作が最初の『スター・ウォーズ』体験になる今の10代という感じですね。そういう意味で続3部作というのは、ビジネス的にかなりプレッシャーだったはず。旧3部作、新3部作のファンも喜ばせながら、新たなファン(世代)を取り込んでいかなければなりません。

 過去作にあったようなシーンがある、というのは今までのファンへのサービスという面もあるでしょうし、またこの続3部作から初めて『スター・ウォーズ』を観る、という人にとっては新鮮な驚きだったと思います。

 僕が初めて劇場で観た『007』映画は『007 私を愛したスパイ』で、あまりの面白さにジェームズ・ボンドのファンになったのですが、当時の批評とかみると過去の『007』の名シーンの焼き直しが多い、など批判的でした。この映画は『007』映画10作目だったので特に過去作のオマージュ・シーンが多かったのです。でも僕は初体験だったので「すごい!」の連続。『007』の面白さを手引きしてくれる作品として最適だったのです。

 『スカイウォーカーの夜明け』の中盤の見せ場である大チェイス・シーンは『ジェダイの帰還』の砂漠での死闘、森の中でのスピ―ダ―バイク・チェイス、『ファントム・メナス』のポッドレースのシーンを彷彿させますが、これは嬉しい“既視感”。『スター・ウォーズ』らしい見せ場をまた見ることが出来た喜びの方が大きいです。一方“過去の焼き直し”と言われながらも、『スター・ウォーズ』屈指の人気キャラ、ダース・ベイダーを安易に復活ないし再登場させなかったことは評価してもいいのではないでしょうか? ここは製作陣の覚悟を感じます。

 2つ目のネガ要素はフォースの描き方でしょう。要はフォースが万能の魔法みたいになってきた。特に『最後のジェダイ』では、かなりチートなものになっています。正直フォースで「なんでもあり」になると、ピンチの場面とかそれで切り抜けちゃえばいいわけです。『スター・ウォーズ』がフォースに頼りすぎると、そしてフォースが魔法のようになってくると、『スター・ウォーズ』はファンタジーものとしての色合いが強くなってきます。『スター・ウォーズ』に対し光線銃が飛び交い、メカや宇宙戦艦が大活躍するSF宇宙物を期待しているとちょっと違和感があるのかもしれません。ただ『スター・ウォーズ』はSFでは「ない」のです。

 1作目の『スター・ウォーズ』が日本で公開されたころ、SF作家マンガ家の方々が集まり、歴代宇宙SF映画10選を決めるという企画がありました(出典:文藝春秋デラックス『 宇宙SF(スペースオペラ)の時代 』文藝春秋 1978年刊)。『2001年宇宙の旅』とか当然選ばれる訳で、もちろん『スター・ウォーズ』も入る、と思ったのですが選者の一人、手塚治虫先生がなぜか難色を示す。手塚先生は『スター・ウォーズ』の面白さを認めながらも「あれはSF映画じゃないと思う」と。それはどういうことなのかというと『スター・ウォーズ』の本質は例えば西遊記みたいなファンタジーであって、たまたまそこに出てくる設定や小道具が宇宙船やロボットなだけではないかと。この言葉がとても印象的で、以来『スター・ウォーズ』はSF=サイエンス・フィクションではなくスペース・ファンタジーととらえるようになりました。そう、『スター・ウォーズ』はガンダムより『ロード・オブ・ザ・リング』に近いお話なのです。だから僕は“フォースの魔法化”に対してはある程度容認しています。とはいえ『スカイウォーカーの夜明け』に関しては、「このフォースの使い方、ちょっとズルくない?」と思うシーンもあるのですが(笑)、そうしたことを忘れさせてくれるぐらいの宇宙戦艦バトルや敵基地からの脱出アクションの見せ場が多いから満足です。

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