『鵞鳥湖の夜』でフィルムノワールを再構造 ディアオ・イーナン監督に聞く演出の裏側
第72回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され話題となったノワール・サスペンス『鵞鳥湖の夜』が現在公開中だ。警官殺しの逃亡犯となった男と美しき謎の女、そして警察やギャングたちの交錯する思惑を描いた本作を手がけたのは、『薄氷の殺人』で第64回ベルリン国際映画祭金熊賞&銀熊賞をW受賞した中国の気鋭監督、ディアオ・イーナンだ。リアルサウンド映画部では、ディアオ・イーナン監督にメールインタビューを行い、演出や撮影、そしてグイ・ルンメイの魅力や撮影が行われた武漢について語ってもらった。
「芸術的チャレンジと商業性を兼ねた映画を撮りたかった」
ーー前作『薄氷の殺人』以来5年ぶりの新作となります。前作は完成までに9年かかったそうですが、今作はある程度スムーズに完成したのでしょうか?
ディアオ・イーナン(以下、イーナン):今回の撮影は全体的にスムーズでした。2018年9月末に撮影が終わって、すぐポストプロダクションに回って、2019年5月にカンヌ国際映画祭でワールドプレミアを開きました。なぜ5年空いていたかというと、私自身のペースがゆっくりなのと、芸術的チャレンジと商業性を兼ねた映画を撮りたかったので、脚本段階で比較的長い時間がかかりました。
ーー時系列が入り乱れ、物語の全容を把握するまでにある程度の時間を要する構成となっています。この試みはあなたにとっても初めてだったのではないかと思うのですが、なぜこの手法を採用したのでしょうか?
イーナン:まず、文学や映画では、昔からこのような手法を使う作品が多くありました。時系列が入り乱れるのは生活の中でとても自然なものだと思います。何人かの人が会って何かをするとき、おしゃべりする内容は、だいたい彼らのこれからの用事と関係がなくて(もちろん関連しているときもありますが)、その場で起きたことではありません。これが現代的な人間の交流方法だと私は思っています。時系列を打ち破ることは、物語の完全性に対する破壊ですが、現代の世間話には近づくものです。入り乱れた時系列は、観衆と作品に一定の距離を維持することができるので、楽しい映像体験になることでしょう。ハリウッド映画と実験的映画を観る違いは、ミラーの絵とセザンヌの絵を見る違いと似ていると思います。
ーー本作には、前作でも影響が色濃くみられたキャロル・リード監督の『第三の男』を彷彿とさせるシーンもありました。あなたが精通しているというフィルムノワールをベースに、アクションシーンにはジャンル映画的な側面もあるように感じました。発砲する瞬間など、重要な出来事をあえて見せない演出も印象的でした。
イーナン:確かにアクション映画の要素を加えました。香港のアクション映画と武侠映画、日本の1950〜60年代のチャンバラ映画は、ともに私に影響があり、また特に中国京劇の舞台感と簡潔さに啓発されました。雨傘で殺すシーンと逃走シーンを撮っているとき、「京劇『三岔口』のように撮りましょう」と撮影スタッフに言っていました。異なる要素を取り入れることによって、いわゆるフィルムノワールを再構造することができました。
ーーオープニングシークエンスからの圧倒的な画作りに引き込まれました。撮影監督はこれまでの作品同様トン・ジンソンと組んでいますが、映像からはあなたのスタイルが確立されているように感じました。撮影におけるこれまでの作品との共通点、また相違点について、あなたの中で意識したことがあれば教えてください。
イーナン:トン・ジンソンとは処女作『制服』から組んできました。彼は私のすべての映画の撮影監督であり、プライベートでは親しい友人でもあります。映像のスタイルが確立されるのは第2作の『夜行列車』からでしょう。処女作『制服』は映画のものまね段階に留まっていたのですが、『夜行列車』では、映画は必ずしも長回しから成り立つのではなく、カットはとても重要だと認識しました。その後『薄氷の殺人』では厳格な美意識にこだわらず、雰囲気や情緒に合わせて表現を選ぶようになりました。
ーーあなたの作品には、夜の街で撮られたネオンのイメージが強くあります。夜の街を舞台に映画を撮る醍醐味とはなんでしょう?
イーナン:街の暗闇の中の光は、この世界を舞台にし、闇は昼間の乱雑な景観にフィルターをかけ、まるで夢の端を歩いているかのようにただ明るい部分だけを残します。夢の世界は思った以上リアルで、退廃的な人生を反映しているかのようです。そして闇夜は人を孤独にさせながらも、あらゆる光を持って人々を導きます。