『親バカ青春白書』はまさに令和時代のホームコメディ “懐かしさ”と“今どきっぽさ”の共存

『親バカ青春白書』は令和のホームコメディ

 毎週日曜日、脱力系の笑いでお茶の間をほっこりさせてきた『親バカ青春白書』(日本テレビ系)が今夜、最終回を迎える。福田雄一が監督と脚本統括を担当し、娘かわいさから四十路にして同じ大学に入学してしまう親バカ父の日々を描いた本作品は、かつてテレビドラマの“鉄板”と言われた「ホームコメディ」と「学園コメディ」を合体させた作りだ。

 「かつて」と書いたのは、ホームコメディと学園コメディが“鉄板”だった時代は1990年代前半ごろまでに一旦終焉を迎えているからだ。90年代後半以降、2020年の現在に至るまで「ホームドラマ」や「学園ドラマ」からコメディ要素がどんどん薄まり、「どんなドラマにも社会問題を絡ませるべき」といった風潮になってきている。ホームドラマならステップファミリー、疑似家族、不倫、離婚、不況による経済問題、シングルマザー・シングルファザーの生き様、家庭崩壊、あるいはそこからの再生etc.。学園ドラマなら不登校、いじめ、薬物、スクールカースト等々。

 こういった流れに抗うかのように、このドラマで大きな事件はいっさい起こらない。天然記念物級に親バカの小比賀太郎(ムロツヨシ)と、それを甘んじて受け入れる優しい娘・さくら(永野芽郁)、そして彼らを取り巻く大学の仲間たちの日常が、ひたすらゆる〜く流れていく。福田雄一のこうした「ゆるコメディ」へのこだわりは、すでに『スーパーサラリーマン左江内氏』(2017年/日本テレビ系)や『今日から俺は!!』(2018年/日本テレビ系)で屹立しており、この2作品がホームドラマと学園ドラマにおける福田作品の立ち位置をきっぱりと示していた。いわば『親バカ青春白書』は、『左江内氏』と『今日俺』で培われたノウハウの集合体だ。

 このドラマにはどこか懐かしい風合いがある。ガタローをはじめとする登場人物の行動原理が基本的に人情と性善説を前提としている点もそうだし、大学の仲間たち--畠山(中川大志)、寛子(今田美桜)、美咲(小野花梨)、根来(戸塚純貴)が回ごとに順ぐりにフィーチャーされ、彼らの悩みがガタローの言葉をきっかけになんとなく決着するという構成は、古くは『ゆうひが丘の総理大臣』(1978年/日本テレビ系)や『金八先生』シリーズ(1979年〜/TBS系)から続く学園ドラマのフォーマットを踏襲しているといえる。

 ガタローの中にある「不器用でウザいくらい熱血だが、その思いの真剣さに周囲の人間がつい胸を打たれ、絆される」という主人公像は、『池中玄太80キロ』シリーズ(1980年〜/日本テレビ系)の玄太(西田敏行)や、『天まであがれ!』シリーズ(1982年〜/日本テレビ系)の竜介(石立鉄男)などの人物造形と同じ匂いを感じる。ちょっと話が逸れるが、『天まであがれ!』は嶋大輔が歌う「男の勲章」が主題歌で、そのカバー曲を『今日から俺は!!』の主題歌に起用するあたり、やはり福田雄一も子供の頃これらのドラマに胸を熱くした世代なのだろう。また、「妻と死別したシングルファザーが、ひたすら娘を溺愛する」という設定は、田村正和・小泉今日子主演の『パパとなっちゃん』(1991年/TBS系)などを彷彿する視聴者もいるのではないだろうか。

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