ジュリアス・オナー監督が語る、『ルース・エドガー』の普遍性とキャスティングに込めた思い

『ルース・エドガー』監督インタビュー

 映画『ルース・エドガー』が6月5日より公開中。2019年のサンダンス映画祭でプレミア上映され、全米の賞レースで20を超える賞にノミネートされた本作は、17歳の黒人の高校生ルースの知られざる内面に迫り、人間の謎めいた本質とアメリカの現実をえぐるサスペンスフルなヒューマンドラマだ。

 監督を務めたのは、Netflixオリジナル『クローバーフィールド・パラドックス』でJ・J・エイブラムスとタッグを組んだジュリアス・オナー。今回リアルサウンド映画部では、オナー監督にインタビューを行い、キャスティングで意識したこと、本作を考える上での重要な概念「リスペクタビリティ・ポリティクス」について話を聞いた。

アメリカ国内だけに留まらず普遍的な物語を描いている

ジュリアス・オナー監督

ーーアメリカ社会の人種や難民の問題について鋭く切り取った本作ですが、日本人の私が観ても、自身の心の奥底にある“偽善者”的な感情を引きずり出されたような感覚を得ました。この“偽善者的な感情”というのは、アメリカだけでなく、世界中で共有されるものだと思いますが、監督はどのように考えていますか?

ジュリアス・オナー(以下、オナー):100%そう思います。本作は非常に普遍的なことを描いていると思います。日本やドイツ、スカンジナビア半島、スウェーデンも同じく、より文化的多様性に富むグローバルな社会になってきています。その中で普遍的に頭をもたげるのが、アイデンティティの問題、権力や特権の問題です。いろいろな国の方とこの作品について話すと、みなさんから等しく「まるで鏡のような映画だった」「自分自身が思い描いているステレオタイプについて振り返らせる映画だった」といった反応をいただきます。僕としても、この作品はアメリカ国内の人種差別の話だけではなく、アイデンティティそのもの、普遍的な話を語っているつもりです。人が抱える先入観は、その社会において「誰が権力の座につけるのか」「誰が特権を持てるのか」といったことが色濃く影響しますし、それによって「誰が人間的な生を送ることができるのか」を決定づけるので、国を問わず共通する議題だと思っています。

ーー本作が描くリスペクタビリティ・ポリティクス(差別されないように模範的な行動を取ること)の概念に対し、どのような意識で挑まれたのでしょうか?

オナー:リスペクタビリティ・ポリティクスは、もともと原作の戯曲でも描かれていましたが、アフリカ系アメリカ人としての私自身の経験でもあります。黒人であるということには、様々なネガティブなステレオタイプが付随します。そういった人種や文化に対する偏見を抱えるマイノリティに属していると、個人として突き抜けるくらいに優秀な存在でないと、ステレオタイプとして扱われてしまう。そのステレオタイプに陥らないためには細心の注意を払い、模範的な行動を強いられるわけです。でもそうなると、それぞれの人間としての経験/体験を許さないことになってしまう。この作品はそういった問題に対して問いを立てています。確かに世界は多様な社会になってきましたし、人種偏見はいけないという風潮になってきています。しかし、歴史が醸成してきたマイノリティに対する固定観念によって、その人がどんな人生を歩むことを許されているのかは、まだ掘り下げられていないんじゃないかなと思います。歴史の中で培われた偏見を跳ね返すために頑張らないといけないわけで、それには大きな疲弊が伴います。そのように、ステレオタイプによって生き方を制限されるのは、人間性を否定することです。ルースという青年は社会の中の人種問題や偏見についてなど、様々な問題を提示するキャラクターです。ただ、人種差別や偏見を持つことがダメだよという明確なメッセージを伝えたいのではなくて、この作品では、「なぜ不平等が生まれるのか」「このルースという少年はこの後どうなっていくんだろう?」など、観客に考えてもらう問いをいくつも投げかけたかったんです。

ーーJ・C・リーによる戯曲『Luce』を映画化した本作ですが、映像にするにあたり意識した点を教えてください。

オナー:戯曲と一番違うのは結末ですね。ネタバレになるといけないので、詳しくは言いませんが、原作では主人公の行為に対して答えを提供しています。それはそれで戯曲として効果的なことだと思いますが、映画の方向性とは違うなと思いました。より観客に考えさせる、深く残るような結末にしました。

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