『エール』は“戦争の時代”をどう描く? 辻田真佐憲著『古関裕而の昭和史』から読み解く

 しかし、そのあとの展開で最も気になるのは、古関が……というよりも、日本という国自体が戦争の時代に突入していくところだろう。1937年(昭和12年)の盧溝橋事件に端を発する日中戦争からアジア太平洋戦争へと至る“戦争の時代”。古関は、同年に〈勝って来るぞと勇ましく〉という歌い出しで知られる「露営の歌」の作曲を担当し、これが大ヒットを記録するのだ。その後も、国民を勇気づけ、ときには癒すような作品を次々と生み出していった古関は、いつしか“軍歌の覇王”と呼ばれる存在になっていったという。『古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家』が興味深いのは、多くの関連書が駆け足で描写する、もしくは悲劇的なニュアンスでのみ語られることの多いこの時期の古関の動向について、実証的な研究·調査および考察をしている点だった。

 それは、“昭和を代表する作曲家”である古関の功績を、必ずしも貶めるものではない。著者の視点は、あくまでもフラットであり……むしろ、「古関が生み出した作品が、昭和史においていかなる役割を果たし、それが今日にどのような影響を及ぼしているのか」を解明することが、本書の課題のひとつであるという。そこで興味深いのは、生涯クラシックへのこだわりを持ち続けた古関の芸術志向と商業主義の「ねじれ」に注目し、それを多彩な音楽を大量生産的に生み出す行為のバックボーンとしている点だった。著者曰く、それは古関の社会との関わりにおいても同様であるという。

 古関は、政治的な主義主張をほとんどもたなかった。仮にあったとしても、その当時として一般的な範囲を出なかった。にもかかわらず、数多くの軍歌や団体歌を送り出した。それを可能にしたのは、ノンポリゆえにかえってどんな政治的音楽でも自由自在に作れるという、もうひとつのねじれだった。
 このような屈折があったからこそ、その五〇〇〇曲ともいわれる作品群は、帝国主義と平和主義、国粋主義と国際協調、滅私奉公と個人主義などのあいだで激しく揺れ動いた昭和日本の写し鏡となったのであり、あたかも昭和史のミクロコスモス(小宇宙)のごとく広大無辺となったのである。(p,289)

 本書のサブタイルにある「国民を背負った作曲家」とは、その意味においてなのだろう。激しく揺れ動いた昭和日本を生きた人々の“無意識の欲望”に応える形で戦時歌謡を含む“大衆音楽”を生み出し続けることによって、本人の意思とは関係なく、古関はいつしか“国民”を背負う作曲家となっていったのだ。

 彼の人生と作品を辿ることは、昭和という時代を生きた人々の“無意識の欲望”を辿ることに他ならない。与えられた“テーマ”や歌詞に宿る“言霊”を、音楽という形で表現し続けること。古関が遺した膨大な作品群は、「人々が音楽に求めるものとは?」「多くの人々を奮い立たせる“応援歌”とは何なのか?」、さらには「その“応援”の対象となるのは、“人”なのか“行為”なのか“思想”なのか?」といった根源的な問い掛けも射程に入るのだった。

 奇しくも当初予定していた“オリンピック・イヤー”とはまったく異なる形で、“応援”という言葉がひとつのキーワードになりつつある現在、古関という作曲家と彼が生きた時代について考えてみることは、翻って我々自身の生きる時代について考えることと、決して無関係ではないように思えた。

■麦倉正樹
ライター/インタビュアー/編集者。「リアルサウンド」「smart」「サイゾー」「AERA」「CINRA.NET」ほかで、映画、音楽、その他に関するインタビュー/コラム/対談記事を執筆。Twitter

■書籍情報
『古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家』(文春新書)
辻田真佐憲著
価格:本体950円(税別)
出版社:文藝春秋

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